日清戦争が日本と非文明国(清)とを西洋に判別させるための「入学試験」であったとすれば、西洋の大国ロシアを相手とした日露戦争はその「卒業試験」でした。日露戦争は、機関銃などの新兵器の登場で本格的な近代戦・物量戦となり、また、第一次世界大戦の遠因にもなったため、近年「第0次世界大戦」とも呼ばれます。

対露開戦の準備

強まるロシアの脅威

ロシアの南下が朝鮮半島に及べば、日本の国防にも影響を与えます。
日清戦争後、ロシアは次のことで着実に脅威を増しました。

即位した大韓帝国の皇帝「高宗」

旅順に残るロシア軍の要塞砲

日露戦争前の東アジア

2つの対露政策

対ロシアの政策として、日本では次の2つの考え方に分かれました。
1902年、 日英同盟協約 締結
1923年まで続いた、日英の軍事同盟を約束する協約
同盟
どちらか一方が1国と開戦する場合、他方は中立を、2国以上との場合、共同で戦う関係

ロシアに日本をけしかける英米

日露開戦の賛否

日本は、日英同盟を背景にロシアと交渉し、一方で開戦の準備もしました。
好転しない日露の関係に、世論も戦争の賛否をめぐり対立し始めました。

主戦論

1903年に結成した強硬姿勢の国家主義団体 対露同志会 
東京帝国大学のしち博士はくし意見書(中心人物:戸水寛人とみずひろんど
 万朝報よろずちょうほう 』の黒岩涙香るいこう
『国民新聞』の徳富蘇峰とくとみそほう

非戦論・反戦論

キリスト教徒で人道主義の立場に立つ 内村鑑三うちむらかんぞう 
平民社(機関誌『 平民新聞 』)の社会主義者 幸徳秋水こうとくしゅうすい  堺利彦さかいとしひこ 
開戦後、『明星みょうじょう』で長詩「 君死にたまふことなかれ 」を発表した 与謝野晶子よさのあきこ 
平民社
黒岩涙香の主戦論に反発した幸徳秋水・堺利彦が『万朝報』を退社して設立

内村鑑三

幸徳秋水

与謝野晶子

明星

日露戦争

日本とロシアの武力衝突

1904~05年9月、 日露戦争 
日露の交渉決裂後、日本軍の旅順りょじゅん仁川インチョン攻撃で始まった軍事衝突
日本は国力、ロシアは革命運動が問題となり、戦争継続が途中で困難化
局地戦①奉天会戦:1週間の激戦の末、ロシア軍を後退させた戦い
局地戦②日本海海戦:1905年5月、三笠みかさ旗艦きかんとする日本連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊をほぼ全滅させた海戦
日露戦争
戦費は約17億円で、約13億円は内外の国債に、約3億円は増税に依存

日露戦争

バルチック艦隊の航路

バルチック艦隊

世界三大記念艦「三笠」(全長131.7m)

三笠艦橋之図
*左上に「Z旗」
Z旗
信号旗の1つ「Z旗」に「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ」の意味を持たせて掲揚し、乗組員の士気を上げました。
フィンランド産のビール―東郷ビール
東郷平八郎率いる艦隊は、日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅しました。「東洋の小国日本」が「大国ロシア」に大勝利を納めた快挙に、フィンランドは勇気づけられ、ロシアの支配と圧政からの独立運動を起こして1917年にこれを達成しました。東洋の英雄「アドミラル トーゴー」は、現在でもフィンランドの小・中学校の教科書で紹介され、フィンランド人の心に深く刻まれています。1972年には、ビューニッキ社が東郷ビールを生産開始しました。日本海海戦の歴史的意義に思いをはせながら、是非味わいたい一品です。

講和条約

1905年9月、 ポーツマス条約 締結
アメリカ大統領 セオドア=ローズヴェルト の仲介を受け、日本全権 小村寿太郎 とロシア全権 ウィッテ が結んだ日露戦争の講和条約
①大韓帝国に対する日本の指導・保護・監督権を承認
②清からの 旅順  大連 租借そしゃく権を日本に譲渡
③東清鉄道の長春ちょうしゅん以南とその付属の利権を日本に譲渡
 樺太からふと の北緯50度以南とその付属の諸島を日本に譲渡
沿海州えんかいしゅうとカムチャッカの日本の漁業権を承認

ポーツマス会議

会議で使用された机
*愛知県明治村で所蔵

小村寿太郎

ウィッテ

ポーツマス条約

講和条約への不満

1905年9月、 日比谷焼打ち事件 
人的損害と増税で戦争を支えたが、講和条約で賠償金を得られず、民衆がその締結を「国辱」とし、不満を爆発させた暴動事件

日比谷焼打ち事件

ポーツマス条約の風刺画
*命の大安売りをする小村寿太郎と桂太郎(煙草を吸う人)