地中海の平定

第1回三頭政治

前1世紀、次の争いが続発し、ローマの混乱は頂点に達しました。
上記の混乱は、 ポンペイウス  カエサル  クラッスス によって武力で鎮められました。
前60年、彼ら3人は私的な政治同盟を結んで元老院と閥族派に対抗する 第1回三頭政治 を始めました。

カエサルの台頭と暗殺

カエサルは、ガリア(今日のフランス)遠征に成功し、指導権を獲得しました。
カエサルは、政敵ポンペイウスを倒し、前46年に全土を平定しました。
 ガリア戦記 
カエサルが、自らのガリア遠征の記録を書いたもの
カエサルは独裁官として社会の安定化に努め、民衆に絶大な人気を博しました。
カエサルは元老院を無視して王になる勢いをみせました(共和政の伝統の否定)。
前44年、カエサルは元老院共和派のブルートゥスらに暗殺されました。

第2回三頭政治

前43年、カエサルの部下 アントニウス  レピドゥス 、カエサルの養子 オクタウィアヌス が政治同盟を結んで閥族派に対抗する 第2回三頭政治 を始めました。
前31年、 アクティウムの海戦 
オクタウィアヌスが、 プトレマイオス 朝の女王 クレオパトラ と結んだアントニウスを破った海戦
プトレマイオス朝が滅亡し、ローマの属州化
地中海が平定され、内乱の1世紀が終わりを告げました。

ローマ帝国

事実上の皇帝独裁

前27年、オクタウィアヌスは、元老院から アウグストゥス の称号を与えられました。
ここにローマの帝政が始まりました。
アウグストゥスは、共和政の伝統を尊重しつつも、政治・軍事の実権を握りました
このように、名目的には元老院などの共和政の伝統を尊重する帝政を 元首政 と呼びます。
以降約200年間の時代は ローマの平和 (パクス=ロマーナ)と呼び、繁栄と平和が続きました。

ローマの平和(パクス=ロマーナ)

最盛期の98~180年には、次の5人の名君が現れ、 五賢帝 時代と呼ばれています。
五賢帝の1人 トラヤヌス帝 のときにローマの領土は最大となりました。
ローマ風の都市が国境付近まで建設され、後にロンドン・パリなど近代都市になったものも多くありました。

ローマ帝国の支配と活動

ローマは都市を通して属州を支配しました。
都市の上層市民は、ローマ市民権を与えられるかわりに帝国支配に貢献しました。
他方、ローマ支配のもとで重税に苦しむ属州下層民もいました。
212年、 カラカラ帝 のときには、帝国の全自由人にローマ市民権が与えられました。

帝国の瓦解

五賢帝最後の治世末期、ローマ帝国のいきづまりが露わになりました。
3世紀末、各属州の軍団が独自に皇帝をたてて元老院と争い、短期間に多数の皇帝が即位・殺害をくり返しました。
また、異民族に国境に侵入され、戦乱は止みませんでした。
この時期を軍人皇帝の時代と呼びます。
諸都市が衰退し、都市の上層市民は都市を去って、田舎に大所領を経営する者が現れました。
彼らは、都市から逃げた下層市民を小作人( コロヌス )として働かせました。
この生産体制を コロナトゥス と呼び、従来のラティフンディアにとってかわりました。