ローマ帝国の東西分割

ディオクレティアヌス帝の治世

3世紀末、 ディオクレティアヌス帝 は次のことを始め、ローマの分裂を回避しました。

コンスタンティヌス帝の治世

 コンスタンティヌス帝 は、迫害されてきた キリスト教 公認し、帝国の統一を図りました。
330年、古代ギリシアの植民都市ビザンティウムをコンスタンティノープルと改称し、ローマより遷都しました。
コンスタンティヌス帝
315年、ローマに 凱旋門がいせんもん を建造
改革を支える重税は、あいつぐ属州の反乱を招きました。
375年に始まるゲルマン人の大移動で帝国は混乱に陥りました。

テオドシウス帝の治世

395年、 テオドシウス帝 は、帝国を東西に分割して2子に分け与えました。
東: ビザンツ帝国 (首都コンスタンティノープル)
西: 西ローマ帝国 (首都ローマ)

西ローマ帝国の滅亡

476年、西ローマ帝国はゲルマン人の オドアケル によって滅ぼされました。

キリスト教

キリスト教の成立

パレスチナはローマに支配されました。
この支配下で、ユダヤ教祭司や利法の実行を重んじるパリサイ派は、ユダヤ人を支配する層として存在し続けました。
彼らは、貧困に苦しむ民衆の声に応えようとしませんでした。
 イエス は、祭司やパリサイ派を批判し、貧富の区別ない神の愛を説きました。
民衆はイエスを救世主(メシア)と信じて彼の教えに従いました。
ユダヤ教祭司やパリサイ派がイエスをローマに対する反逆者として訴えたため、イエスは処刑されました(30年頃)。
弟子たちはイエスの復活と贖罪を信じ、この信仰を中心に キリスト教 が成立しました。
メシア
この語のギリシア語訳が「 キリスト 
キリスト教の教典
『旧約聖書』と、コイネーという ギリシア 語のコイネーで記された『新約聖書』
ペテロや パウロ などの使徒によって伝道活動が始まりました。
パウロは、神の愛がユダヤ人以外の民族にも及ぶとして、パレスチナ以外の地域にもキリスト教を布教した。

迫害から国教化へ

ローマの宗教は多神教で、皇帝も神の一人とされました。
皇帝崇拝が強化されると、唯一絶対神を信じるキリスト教徒は反社会集団とされました。
64年の ネロ帝 による迫害や303年の ディオクレティアヌス帝 による迫害が有名です。
迫害の一方でキリスト教は拡大を続け、信仰を禁止すれば帝国の維持できない状況となりました。
313年、 ミラノ勅令 
 コンスタンティヌス帝 がキリスト教信仰をを公認した勅令
324年、 ニケーア公会議 
キリストを神と同一視する アタナシウス派 が正統教義とされ、キリストを人間とする アリウス派 が異端とされた会議
アタナシウス派
後に神・キリスト・聖霊を同一視する 三位一体説 を確立
392年、 テオドシウス帝 がアタナシウス派キリスト教を国教としました(他宗教は厳禁)。
キリスト教が国家権力と結びつくと、聖職者身分が成立し、教会の組織化が進みました。
アリウス派
異端とされ、北方のゲルマン人に普及
 ネストリウス派 
431年の エフェソス公会議 で異端とされたが、唐代の中国に伝わり、 景教 と呼称