マケドニアの侵入

有力ポリス間の争い

デロス同盟の盟主 アテネ に対して、 ペロポネソス 同盟の盟主 スパルタ は脅威を感じました。
前431~404年、 ペロポネソス戦争 
全ギリシアをまきこんだ、アテネとスパルタの戦争
アテネはペリクレスの病死で政治的に混乱し、アケメネス朝ペルシアの支援を受けたスパルタに敗北
前4世紀半ば、テーベというポリスがスパルタにかわり覇権を一時握りました。
しかし、アテネが勢力を回復し、ポリス間の争いは終わりませんでした。
やがて傭兵の登場で市民の団結が失われ、ポリスの在り方は変容しました。

諸ポリスの屈服

前4世紀後半、ギリシア人の一派がギリシア北方に建てた マケドニア が、王 フィリッポス2世 の下で勢力を拡大しました。
前338年、 カイロネイアの戦い 
マケドニアのフィリッポス2世がアテネ・テーベ連合軍を撃破した戦い
戦後、フィリッポス2世は諸ポリスを コリントス  ヘラス )同盟に集め、それらを支配

東方遠征

フィリッポス2世の子 アレクサンドロス大王 は、ペルシアを滅ぼすため、前334年、マケドニアとギリシア連合軍を率いて、東方遠征に出発しました。
①前333年、イッソスの戦い
アレクサンドロス大王がペルシア王ダレイオス3世の大軍を撃破した戦い
この戦いを契機に、エジプトを征服
②前331年、アルベラの戦い
アレクサンドロス大王が勝利し、ペルシアが滅亡

アレクサンドロスの帝国の最大領域
アレクサンドロス大王は、さらに軍をインド北西部に進め、東西にまたがる大帝国を築きました。
アレクサンドロス大王の急死後、領土はディアドコイ(後継者)と呼ばれる将軍らに争われ、やがて次の3つの国に分裂しました。

アレクサンドロスの帝国の分裂

ヘレニズム時代

東方遠征からプトレマイオス朝エジプトの滅亡(前30年)までの約300年間を、 ヘレニズム時代 と呼びます。
この時代には、ギリシア風の都市がオリエントやその周辺に建設され、特にエジプトの アレクサンドリア は経済・文化の中心として栄えました。
アレクサンドリア
アレクサンドロス大王の各地に建設した植民市で、特にエジプトのものは、 ムセイオン (王立研究所)を整備