一問一答
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- 弥生文化を代表する土器の総称は何か。
- 弥生土器
東京都弥生町で土器が見つかったことに由来する。
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- 籾を水田に直接播く方法の名称は何か。
- 直播
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- 大型化した銅鐸・銅剣・銅矛・銅戈の青銅器の分布には、地域的な特徴がある。銅鐸の分布は、図中A~Cのいずれか。
- C
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- 集落の祭りに用いられた銅鐸や銅剣・銅矛・銅戈の総称は何か。
- 青銅製祭器
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- 弥生時代において普遍的に見られる、死者の両足を伸ばしたままの状態で葬る葬法の名称は何か。
- 伸展葬
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- 弥生時代、稲の穂は何という手段で収穫されたか。
- 穂首刈り
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- 弥生時代を通じて営まれた、壕で周りを囲んだ集落の名称は何か。
- 環濠集落
農耕社会の開始は、集落間の争いを本格化させ、集落には防御用の設備が必要になった。
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- 住居跡・水田跡・高床倉庫跡が多数発掘され、時代が弥生時代後期と推定される遺跡の名称は何か。また、その位置を下図のA~Dから選べ。
- 名称…登呂遺跡位置…C
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- 大型の平たい石を数個の石で支え、その下に土壙をもつ墓の名称は何か。
- 支石墓
弥生時代前・中期の九州北部に多い。
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- 収穫した穀物を収める、床を高くした倉庫の名称は何か。
- 高床倉庫
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- 地中に墓穴を掘って埋葬した墓の名称は何か。
- 土壙墓
一般的な埋葬方法で、弥生時代にも全期を通してみられた。
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- 縄文文化が今日の日本列島全域におよんだのに対して、弥生文化は北海道や南西諸島にはおよばなかった。南西諸島で続いた食料採取文化の名称は何か。
- 貝塚文化
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- 板状の石で四方を囲み、遺体を入れる大きな箱形の空間をつくった墓の名称は何か。
- 箱式石棺墓
西日本に多い。
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- 弥生土器は、農耕生活の影響を受けて分化した。下図の容器の名称を答えよ。
- 高杯
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- 方形の低い盛り土された墳丘の周りに溝をめぐらせた墓の名称は何か。
- 方形周溝墓
弥生時代前期~後期に各地で見られた。
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- 苗代で育てた稲の苗を水田に移し植える方法の名称は何か。
- 田植え
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- 近年、青銅器の分布に問題を提起する遺跡が発見された。銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個が出土した、現在の島根県にある遺跡の名称は何か。
- 神庭荒神谷遺跡
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- 軍事・防衛的機能を重視して、山頂・丘陵上に営まれた集落の名称は何か。
- 高地性集落
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- 特製の大型棺を使用した墓の名称は何か。
- 甕棺墓
九州北部に多い。
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- 農具の一種で、深い水田に足がめりこまないようにはく大型の履物の名称は何か。
- 田下駄
類似する農具に「大足」がある。こちらは田を踏みならすための履物である。
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- 弥生時代前期に利用された、川に近い低湿地につくられた湿潤な水田の名称は何か。
- 湿田
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- 弥生時代後期につくられた、大きな墳丘をもつ墓の名称は何か。
- 墳丘墓
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- 日本最大級の環濠集落であり、現在の佐賀県に存在する遺跡の名称は何か。
- 吉野ヶ里遺跡
次いで大規模な遺跡が「唐古・鍵遺跡」である。
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- 弥生時代中・後期に利用されるようになった、灌漑と排水を繰り返す水田の名称は何か。
- 乾田
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- 縄文文化が今日の日本列島全域におよんだのに対して、弥生文化は北海道や南西諸島にはおよばなかった。北海道で続いた食料採取文化の名称は何か。
- 続縄文時代
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- 高地性集落の代表例で、現在の香川県に存在する遺跡の名称は何か。
- 紫雲出山遺跡
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- 紀元前4世紀頃~紀元3世紀の時期を何時代と呼ぶか。
- 弥生時代
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- 四隅が飛び出した特異な形をする墓の名称は何か。
- 四隅突出型墳丘墓
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- 大型化した銅鐸・銅剣・銅矛・銅戈の青銅器の分布には、地域的な特徴がある。銅矛・銅戈の分布は、図中A~Cのいずれか。
- A
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- 稲の穂摘み用具の名称は何か。
- 石包丁
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- 大型化した銅鐸・銅剣・銅矛・銅戈の青銅器の分布には、地域的な特徴がある。銅剣の分布は、図中A~Cのいずれか。
- B