一問一答
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- 地面を掘り下げて、そこを床として柱を建て、周囲に屋根を葺きおろした住居の名称は何か。
- 竪穴住居
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- 紀元57年に倭国の王の使者が後漢の都を訪れたという。この時、使者に印綬を授けた後漢の皇帝は誰か。
- 光武帝
使者がおくられた先は、後漢の「洛陽」である。
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- 完新世での海面上昇によって発達した、魚類・貝類を捕る人間の労働の名称は何か。
- 漁労
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- 倭国大乱の末、小国同士で共同してある国の女王を立てたところ、30国ばかりの小国の連合が生まれて争乱が鎮まった。この女王は誰か。
- 卑弥呼
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- 人類の進化の段階は4つとされる。古い方から順に名称を答えよ。
- 猿人・原人・旧人・新人
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- 邪馬台国の身分は2つに大別される。2つの名称はそれぞれ何か。
- 大人・下戸
下戸が下の身分である。
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- 旧石器時代には様々な打製石器があった。剥片の鋭い縁辺の一部を刃とした石器の名称は何か。
- ナイフ形石器
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- 239年に卑弥呼が使者をおくり、魏の皇帝からおくられた称号は何か。
- 親魏倭王
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- 『後漢書』東夷伝によれば、107年に倭国の王は、奴隷160人を後漢の皇帝に貢物としておくったという。倭国の王の名前は何か。
- 帥升
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- 大型化した銅鐸・銅剣・銅矛・銅戈の青銅器の分布には、地域的な特徴がある。銅矛・銅戈の分布は、図中A~Cのいずれか。
- A
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- 高地性集落の代表例で、現在の香川県に存在する遺跡の名称は何か。
- 紫雲出山遺跡
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- 磨製石器は狩猟以外にも用いられた。矢の尖端に取り付ける石器の名称は何か。
- 石鏃
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- 卑弥呼が亡くなった後、新たに擁立された女王は誰か。
- 壱与
「台与」とも
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- 石器の原料などから集落間の交流がわかる。ひすいの原産地域は、長野県から新潟県に流れる何という川の流域か。
- 姫川流域
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- 弥生時代において普遍的に見られる、死者の両足を伸ばしたままの状態で葬る葬法の名称は何か。
- 伸展葬
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- 縄文時代晩期(弥生時代早期とも)の水田跡が発掘された、佐賀県に所在する遺跡の名称は何か。
- 菜畑遺跡
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- 107年に奴隷160人を貢物としておくられた後漢の皇帝は誰か。
- 安帝
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- 縄文時代晩期の代表的な土器が多数出土した、青森県に所在する遺跡の名称は何か。
- 亀ヶ岡遺跡
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- 石器時代に用いられ、打ち欠いただけの利器の名称は何か。
- 打製石器
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- 苗代で育てた稲の苗を水田に移し植える方法の名称は何か。
- 田植え
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- 植物性食物を煮るために用いられ、表面により糸状の文様をもつ土器の名称は何か。
- 縄文土器
600~800℃の低温で焼かれたためにもろく、厚手で黒褐色
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- 石器時代のうち、打製石器とともに磨製石器も用いていた時期を特に何時代と呼ぶか。
- 新石器時代
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- 日本最大級の環濠集落であり、現在の佐賀県に存在する遺跡の名称は何か。
- 吉野ヶ里遺跡
次いで大規模な遺跡が「唐古・鍵遺跡」である。
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- 大型の平たい石を数個の石で支え、その下に土壙をもつ墓の名称は何か。
- 支石墓
弥生時代前・中期の九州北部に多い。
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- 約200万年前から約1万年余り前の区分は、世界的に気候が寒冷であったことから何時代と呼ばれるか。
- 氷河時代
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- 農具の一種で、深い水田に足がめりこまないようにはく大型の履物の名称は何か。
- 田下駄
類似する農具に「大足」がある。こちらは田を踏みならすための履物である。
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- 下図のような女性を形どった土製品の名称は何か。
- 土偶
ごくわずかだが、男性の土偶も存在する。
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- 大型化した銅鐸・銅剣・銅矛・銅戈の青銅器の分布には、地域的な特徴がある。銅剣の分布は、図中A~Cのいずれか。
- B
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- 2世紀の終わり頃に倭国で大きな争乱(倭国大乱)が続いたと伝える、中国の歴史書の名称は何か。
- 『魏志』倭人伝
魏・呉・蜀の三国時代に書かれた、魏の歴史書である。
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- 縄文時代前期~中期に約1500年間継続した大集落跡で、青森県に所在する遺跡の名称は何か。
- 三内丸山遺跡
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- 漁労で用いられた、獣・鳥の骨を加工した器具の名称は何か。
- 骨角器
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- 四隅が飛び出した特異な形をする墓の名称は何か。
- 四隅突出型墳丘墓
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- 稲の穂摘み用具の名称は何か。
- 石包丁
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- 日本の旧石器時代解明の端緒となった群馬県の遺跡の名称は何か。
- 岩宿遺跡
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- 266年、晋に使いを送った記録を最後に、邪馬台国は歴史書から姿を消した。そして、邪馬台国の所在地は今日も決着を見ていない。何説と何説があるか。
- 近畿説・九州説
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- 住居跡・水田跡・高床倉庫跡が多数発掘され、時代が弥生時代後期と推定される遺跡の名称は何か。また、その位置を下図のA~Dから選べ。
- 名称…登呂遺跡位置…C
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- 弥生時代中・後期に利用されるようになった、灌漑と排水を繰り返す水田の名称は何か。
- 乾田
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- 軍事・防衛的機能を重視して、山頂・丘陵上に営まれた集落の名称は何か。
- 高地性集落
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- 『後漢書』東夷伝における、奴隷の呼称は何か。
- 生口
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- 板状の石で四方を囲み、遺体を入れる大きな箱形の空間をつくった墓の名称は何か。
- 箱式石棺墓
西日本に多い。
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- 縄文時代から用いられはじめ、研磨によって整形された石器の名称は何か。
- 磨製石器
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- 下図のような通過儀礼の名称は何か。
- 抜歯
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- 完新世になると、気候が温暖になり、中・小型動物が増加した。これらを射とめる狩猟具の名称は何か。
- 弓矢
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- 縄文文化が今日の日本列島全域におよんだのに対して、弥生文化は北海道や南西諸島にはおよばなかった。南西諸島で続いた食料採取文化の名称は何か。
- 貝塚文化
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- 骨などの生物遺体を対象に年代を測定する方法として、( )14年代法というものがある。( )に適する語句を答えよ。
- 炭素
空気中に一定の割合で存在する炭素14は代謝によって生体内に取り込まれるが、死滅などで代謝がとまると、一定の周期で半減する。この特性を利用し、代謝停止の年代を測定する。
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- 磨製石器は狩猟以外にも用いられた。皮を剥ぐために用いられた石器の名称は何か。
- 石匙
以前、石匙は石のスプーンと考えられたため、「匙(さじ)」という漢字が使われている。
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- 1931年、兵庫県で発見され,かつて原人とされた化石人骨の名称は何か。
- 明石人
すでに原人の段階でないと判明したが、その知名度から今なお出題あり
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- 弥生土器は、農耕生活の影響を受けて分化した。下図の容器の名称を答えよ。
- 高杯
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- 1世紀につくられた前漢の歴史書のなかで、日本列島の状況を伝える記事の名称は何か。
- 『漢書』地理志
『漢書』という歴史書のなかの、「地理志」という記事を指す。著者は班固である。
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- 石器の原料などから集落間の交流がわかる。黒曜石の原産地を下の地図中から2つ選び、それぞれの地名を答えよ。
- A…白滝C…和田峠
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- 紀元前108年、前漢の武帝が朝鮮半島におき、倭人が使者をおくっていたという郡の名称は何か。
- 楽浪郡
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- 後漢の歴史書のなかで、日本列島の状況を伝える記事の名称は何か。
- 『後漢書』東夷伝
『後漢書』という歴史書のなかの、「東夷伝」という記事を指す。編者は范曄である。
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- ナウマンゾウの化石が出土することで知られる湖の名称は何か。また、その場所は下の地図中A~Dのどれか。
- 名称…野尻湖場所…C
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- 地中に墓穴を掘って埋葬した墓の名称は何か。
- 土壙墓
一般的な埋葬方法で、弥生時代にも全期を通してみられた。
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- 弥生時代前期に利用された、川に近い低湿地につくられた湿潤な水田の名称は何か。
- 湿田
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- 縄文土器が使用され始めた、約1万3000年前から前4世紀頃までの時代の名称は何か。
- 縄文時代
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- 約1万年余り前から現在に至る気候区分の名称は何か。
- 完新世
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- 弥生時代後期につくられた、大きな墳丘をもつ墓の名称は何か。
- 墳丘墓
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- 後漢の皇帝が授けた金印には、漢字5文字で何と彫られていたか。
- 漢委奴国王
「かんのわのなのこくおう」と読む。
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- 卑弥呼を女王とし、小国の連合の中心となった国の名称は何か。
- 邪馬台国
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- 下図のような埋葬方法の名称は何か。
- 屈葬
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- 静岡県で発見された新人の化石人骨の名称は何か。
- 浜北人
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- 石器時代のうち、打製石器を用いていた時期を特に何時代と呼ぶか。
- 旧石器時代
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- 磨製石器は狩猟以外にも用いられた。木の実をすりつぶすために用いられた石器の名称は何か。
- 石皿・すり石
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- 人類文化を利器で区分したとき、まだ金属器が使われていない時代の名称は何か。
- 石器時代
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- 特製の大型棺を使用した墓の名称は何か。
- 甕棺墓
九州北部に多い。
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- 縄文時代晩期(弥生時代早期とも)の水田跡が発掘された、福岡県に所在する遺跡の名称は何か。
- 板付遺跡
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- 関東ローム層から打製石器を発見し、日本の旧石器時代解明に大きく貢献した人物は誰か。
- 相沢忠洋
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- 弥生時代、稲の穂は何という手段で収穫されたか。
- 穂首刈り
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- 人類は地質学でいう第4紀を通じて発展した。第4紀のうち、約200万年前から約1万年余り前の区分の名称は何か。
- 更新世
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- 金印が発見された、福岡県の島の名称は何か。
- 志賀島
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- 中国の直接統治を受けた朝鮮の郡で、239年に卑弥呼が使者をおくった郡の名称は何か。
- 帯方郡
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- 日本列島で発見された最古の化石人骨は、人類の進化の段階でどれに位置するか。
- 新人
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- 農耕社会は集落間の争いを本格化させた。強力な集落が周辺のいくつかの集落を統合した、政治的なまとまりの名称は何か。
- クニ
「小国」ともいう。
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- 弥生時代を通じて営まれた、壕で周りを囲んだ集落の名称は何か。
- 環濠集落
農耕社会の開始は、集落間の争いを本格化させ、集落には防御用の設備が必要になった。
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- 旧石器時代には様々な打製石器があった。木や骨の柄に複数はめ込んで使用する、組み合わせ式の石器の名称は何か。
- 細石器
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- 籾を水田に直接播く方法の名称は何か。
- 直播
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- 旧石器時代には様々な打製石器があった。投げ槍や突き槍の尖端につけた石器の名称は何か。
- 尖頭器
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- 紀元前4世紀頃~紀元3世紀の時期を何時代と呼ぶか。
- 弥生時代
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- 近年、青銅器の分布に問題を提起する遺跡が発見された。銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個が出土した、現在の島根県にある遺跡の名称は何か。
- 神庭荒神谷遺跡
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- 石器時代に用いられ、表面を磨いて仕上げられた利器の名称は何か。
- 磨製石器
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- 旧石器時代の人々の生活手段は野生動物を捕獲することと、植物性食料をとることであった。これらの名称をそれぞれあげよ。
- 狩猟、採取
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- 方形の低い盛り土された墳丘の周りに溝をめぐらせた墓の名称は何か。
- 方形周溝墓
弥生時代前期~後期に各地で見られた。
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- 集落の祭りに用いられた銅鐸や銅剣・銅矛・銅戈の総称は何か。
- 青銅製祭器
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- 収穫した穀物を収める、床を高くした倉庫の名称は何か。
- 高床倉庫
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- 沖縄県で発見された新人の化石人骨の名称は何か。
- 港川人あるいは山下町洞人
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- 弥生文化を代表する土器の総称は何か。
- 弥生土器
東京都弥生町で土器が見つかったことに由来する。
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- 漁労で用いられた、火などで木を焼きえぐってつくった舟の名称は何か。
- 丸木舟
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- 明治時代にアメリカ人モースが調査をした、東京都に所在する貝塚の名称は何か。
- 大森貝塚
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- 人々が食べた貝の貝殻などの捨てたものが堆積して、層をなしている遺跡の名称は何か。
- 貝塚
貝塚の役割は不明のままである(ゴミ捨て場なのか。
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- 大型化した銅鐸・銅剣・銅矛・銅戈の青銅器の分布には、地域的な特徴がある。銅鐸の分布は、図中A~Cのいずれか。
- C
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- 縄文文化が今日の日本列島全域におよんだのに対して、弥生文化は北海道や南西諸島にはおよばなかった。北海道で続いた食料採取文化の名称は何か。
- 続縄文時代
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- 下図のような男性の生殖器を表現したと思われる土製品の名称は何か。
- 石棒
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- 2009年、3世紀前半頃の整然と配置された大型建造物跡が発見され、近畿説を補強した遺跡の名称は何か。
- 纒向遺跡
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- 当時の中国において、日本人の呼称は何か。
- 倭人
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- 自然物や自然現象に霊異が存在するという考えの名称は何か。
- アニミズム
魂を意味するラテン語「anima」から派生した。