一問一答
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- 江戸幕府はキリシタン摘発のため、キリスト像やマリア像を踏ませた。これを何というか。
- 絵踏
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- 荻生徂徠は将軍徳川吉宗の諮問に答えて、武士の土着のすすめや参勤交代制の弊害を説いた書物を著わしたが、これを何というか。
- 『政談』
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- 将軍徳川綱吉に仕えた林家の人で、儒学を仏教から分離させたのはだれか。
- 林信篤(鳳岡)
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- 元禄のころ、京都の絵師が創始した花鳥山水模様の染物が大流行したが、この創始者はだれか。
- 宮崎友禅
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- 茶・藍・木綿・たばこなど、販売することを目的として栽培された作物を何というか。
- 商品作物
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- 江戸幕府の6代将軍の名をあげよ。
- 徳川家宣
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- 江戸幕府は諸大名や旗本に、石高に応じて人馬や武器類の保有を義務づけ、戦時にはこれらの兵馬をひきつれて参加させた。これを何というか。
- 軍役
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- 蔵物の売却代金の出納にあたる者を何というか。
- 掛屋
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- 江戸幕府が文治政治へ転換したのは、何という将軍の時か。
- 徳川家綱
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- 木下順庵、室鳩巣らの学者を招き、図書の収集につとめ、『東寺百合文書』の保存に尽力した加賀藩主はだれか。
- 前田綱紀
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- 麻織物のうち、越後小千谷地方でつくられたものを何というか。
- 越後縮
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- 狩野探幽の門人で、庶民的な画題の作品を描いた絵師はだれか。
- 久隅守景
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- 装飾的な画法を取り入れて、独自の構図と色彩を持つ作品を描いた京都の絵師・工芸家をあげよ。
- 尾形光琳
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- 江戸時代、全国経済の中心となったのは大坂であった。このため大坂はどのようによばれたか。
- 天下の台所
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- 江戸時代中期から明治前期にかけて、北海道や東北の物資を日本海各地に寄港し、下関を廻って大坂などに輸送した船を何というか。
- 北前船
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- オランダ商館の医師として日本に滞在したドイツ人医師・博物学者で、帰国後に『日本誌』を著わした人物はだれか。
- ケンペル
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- 老中の下にあり、特に大名の監察にあたる職を何というか。
- 大目付
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- 朱印船貿易を行い、糸割符仲間としても活躍した京都嵯峨の商人で、富士・天竜・高瀬川などの水路開発にも貢献した人物はだれか。
- 角倉了以
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- 公家から2人選ばれ、朝廷に幕府側の指示を与えた役職を何というか。
- 武家伝奏
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- もと五山の相国寺の僧で、徳川家康に儒学を進講し、弟子を推薦したのはだれか。
- 藤原惺窩
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- 1641年に、オランダ商館が、平戸から長崎港内につくられた扇形の埋立地に移され、鎖国体制が完成した。この埋立地を何というか。
- 出島
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- 紫衣事件後に皇位についたのは、2代将軍徳川秀忠の娘和子との間に生まれた娘であったが、何天皇か。
- 明正天皇
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- 尾張藩で藩が直轄する山林から伐り出された材木を商品化し、有名になったものはそれぞれ何か。
- 木曽檜
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- 長屋などに借屋住まいをし、家守(大家)の監督を受けたものを何というか。
- 地借
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- 太閤検地と並行して行われた村の境を確定した政策を何というか。
- 村切
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- 野々村仁清に学び、装飾画的な美しい作品を残した陶工で、兄とともに画家でもあったのはだれか。
- 尾形乾山
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- 江戸時代の田畑・屋敷地に対する本租で、本百姓が負担した税を何というか。
- 本途物成(本年貢)
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- 1641年に、オランダ商館が、平戸から長崎港内につくられた扇形の埋立地に移され、鎖国体制が完成した。この埋立地を何というか。
- 出島
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- 江戸幕府の呉服師であり、朱印船貿易や糸割符仲間で巨利を得た京都の商人を何というか。
- 茶屋四郎次郎
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- 江戸幕府の職制のなかで、三奉行と総称された役職をすべてあげよ。
- 寺社奉行・勘定奉行・町奉行
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- 宿駅(宿場)で荷物の輸送・書状の継送などの業務を扱った施設を何というか。
- 問屋場
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- 九州のキリシタン農民らが領主(松倉氏や寺沢氏)の圧政に反抗して一揆をおこしたが、これを何というか。
- 島原の乱
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- 武家諸法度によって、大名統制のために明文化された制度を何というか。
- 参勤交代
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- 17世紀末以降、清への主要な輸出品となった海産物を総称して何というか。
- 俵物
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- 『経済録』を著わし、経世済民の問題を考察し、藩営専売の必要を説いた古文辞学派の学者はだれか。
- 太宰春台
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- 江戸時代に発明・改良された農具で、田の荒おこしや深耕のため考案されたものを何というか。
- 備中鍬
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- 1670年に完成した大規模な治水・灌漑工事で、芦ノ湖の水を富士山麓の深良村へ導いた用水を何というか。
- 箱根用水
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- 上絵付の手法をもとに色絵を完成し、京焼の祖といわれるのはだれか。
- 野々村仁清
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- 鎖国を実質的に完成させた法令は、「かれうた」の来航を禁止したものだが、「かれうた」とはどこの国の船のことか。
- ポルトガル
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- 1697年に刊行された宮崎安貞の農学書名をあげよ。
- 農業全書
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- 町人が始めた飛脚を何というか。
- 町飛脚
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- 老中を補佐し、旗本・御家人の監督を行う職を何というか。
- 若年寄
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- 糸割符仲間は、のちに江戸・大坂の商人が加えられたが、これらの特定商人たちを総称して何とよんだか。
- 五ヵ所商人
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- 元禄期を中心に活躍した江戸の歌舞伎俳優で、立廻りを主とする荒事を得意芸としたのはだれか。
- 解答
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- 江戸時代の職能にもとづく身分制を何というか。
- 士農工商
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- 和算の普及に業績を残した、江戸前期の人はだれか。
- 吉田光由
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- 『万葉集』の研究に専念し、徳川光圀の依頼で『万葉集』の注釈書を著わした僧侶はだれか。
- 契沖
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- 松尾芭蕉が東北・北陸地方へ旅行した時の俳諧紀行文の傑作を何というか。
- 『奥の細道』
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- 秋田藩で藩が直轄する山林から伐り出された材木を商品化し、有名になったものはそれぞれ何か。
- 秋田杉
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- 東北の日本海沿岸より津軽海峡経由で太平洋を通り、江戸にいたる航路を何というか。
- 東廻り海運
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- 江戸幕府の6代・7代将軍の時、侍講として文治政治を展開した朱子学者はだれか。
- 新井白石
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- 関ヶ原の戦いに前後して徳川家に臣従した大名を何というか。
- 外様
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- 三草のうち、江戸時代には主に出羽国を主産地としたものは何か。
- 紅花
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- 江戸時代に本百姓が負担した税で、山林などからの収益や産物収入などを対象とした雑税を何というか。
- 小物成
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- 徳川綱吉の擁立に功があり、大老となったが、1684年に江戸城内で刺殺されたのはだれか。
- 堀田正俊
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- 16世紀後半に盛大に金が採掘され、明治時代には政府から三菱に払い下げられた新潟県の鉱山を何というか。
- 佐渡金山
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- 江戸時代初期の幕府の御用絵師で、狩野派繁栄の基礎を築いた人物はだれか。
- 解答
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- 扱箸にかわって登場した脱穀具で、非常に能率的であったため“後家倒し”の異名をとったものを何というか。
- 千歯扱
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- 吉田光由の数学・そろばんの普及に功績のあった著書をあげよ。
- 『塵劫記』
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- 博多の商人の子で長崎に移住し、長崎代官もつとめた朱印船貿易家を何というか。
- 末次平蔵
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- 徳川家光の異母弟であり、山崎闇斎に朱子学を学び、藩政の刷新をはかった会津藩主はだれか。
- 保科正之
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- 法華を信じない者の施しを受けず、また施さずとする仏教の日蓮宗の宗派も、キリスト教とともに弾圧されたが、この派を何というか。
- 不受不施派
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- いわゆる鎖国令の最初として、日本人の海外渡航は朱印状のほかに別の許可状を持つ船以外は禁止になった。その許可状と、それを持つ船のことを何というか。
- 奉書、奉書船
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- 三河の小大名出身で、小田原の北条氏の滅亡後、豊臣秀吉が東国の支配をまかせた人物はだれか。
- 徳川家康
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- 菱川師宣の代表的な肉筆美人画をあげよ。
- 見返り美人図
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- 武家諸法度を起草したのは、徳川家康に仕えた南禅寺の僧で「黒衣の宰相」とよばれた人物であるが、だれか。
- 金地院崇伝
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- 正徳の治で、東山天皇の皇子を独立させ、新しい宮家を創立したが、この宮家を何というか。
- 閑院宮家
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- 大坂の役の発端となった「国家安康、君臣豊楽」の銘がある鐘は、何という寺のものか。
- 方広寺
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- 西陣では高い腰かけに座り、足を上下に踏む操作で織る織機が使用され、やがて江戸時代後期には綿織物でも使われるようになった。この織機を何というか。
- 高機
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- 3代将軍徳川家光が幕府の財力を投じて建立した、祖父家康をまつる華麗な霊廟を何というか。
- 日光東照宮
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- 飛脚のなかで幕府公用のものを何というか。
- 継飛脚
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- 五街道などの本街道に対して、それ以外の街道を何とよぶか。
- 脇街道
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- 長崎郊外に設置した清国人の居住地を何というか。
- 唐人屋敷
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- 宿駅(宿場)における大名宿を何とよんだか。
- 本陣・脇本陣
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- 大坂の荷積問屋が商品別に組織した組合は何か。
- 二十四組問屋
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- 江戸時代に三貨の交換や預金・貸付・為替・手形などを扱った商人を総称して何というか。
- 解答
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- 強力な領主権を持つ将軍(幕府)と大名(藩)が、土地と人民を統治する支配体制を何というか。
- 幕藩体制
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- 三奉行のうち、旗本から選任され、江戸市中の行政・司法・警察を担当し、南北両奉行からなっていたのは何か。
- 町奉行
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- 北陸方面より下関経由で瀬戸内海を経て、大坂にいたる航路を何というか。
- 西廻り海運
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- 俵屋宗達の代表作で、ユーモラスな2神を描いた?風絵を何というか。
- 『風神雷神図?風』
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- 俳諧の作成を推進したのは江戸時代初期の貞門派であったが、貞門派の祖といわれるのはだれか。
- 松永貞徳
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- 本田畑に五穀(米・麦・黍・粟・豆)以外の作物を栽培することを禁じた、江戸幕府の法令を何というか。
- 田畑勝手作りの禁
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- 元禄期に上方を中心に町人社会の生活・風俗・世相などを写実的に描写した小説を何というか。
- 浮世草子
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- 新井白石は貨幣の改鋳を行い、家康時代と同質同量の良貨を発行したが、これらを何というか。
- 正徳金銀
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- 江戸時代初期の京都の絵師で、土佐派の画法をもとに、新しい絵の様式を生み出した人物をあげよ。
- 俵屋宗達
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- 貝原益軒の本草学に関する著書を何というか。
- 『大和本草』
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- 直参のうち、給与である蔵米を支給されていた下級家臣を何というか。
- 御家人
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- 将軍徳川綱吉が出した極端な動物愛護令を何というか。
- 生類憐みの令
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- 18世紀から広まった問屋商人が原料・器具を家内生産者に前貸し、その生産物を買い上げる生産形態を何というか。
- 問屋制家内工業
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- 朱印船貿易で活躍した、長崎と摂津の豪商をそれぞれあげよ。
- 末次平蔵・末吉孫左衛門
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- 渋川春海(安井算哲)はそれまで使用していた暦を修正し、元の暦をもとに新しい暦を作成したが、これを何というか。
- 貞享暦
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- 1624年に幕府が来航を禁じたのは、どこの国の船か。
- スペイン
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- 江戸の荷受問屋が商品別に組織した組合は何か。
- 十組問屋
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- 18世紀前半のころ、江戸の人口はどのくらいあったと推定されているか。
①約50万人②約150万人③約100万人④約70万人
- ③約100万人
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- 藤原惺窩の弟子松永尺五に師事し、加賀藩主前田綱紀に仕え、のち5代将軍徳川綱吉の侍講(儒学の師)となった朱子学者はだれか。
- 木下順庵
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- 関ヶ原の戦いで西軍の中心になった豊臣政権の五奉行の一人で、内政面に練達した人物はだれか。
- 石田三成
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- 桂離宮の茶室風の建築様式を何というか。
- 数寄屋造
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- 穀類を金網の上に流して、穀粒の大きさによってふるいわける選別農具を何というか。
- 千石?
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- 井原西鶴の作品で、金銭を追求する町人の喜怒哀楽をリアルに描いた町人物を何というか。
- 『日本永代蔵』
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- 糸割符仲間は、はじめ3カ所の都市の商人にだけ認められたが、どこの都市の商人か。
- 堺・長崎・京都