一問一答
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- 1838年、緒方洪庵が大坂に開いた蘭学塾を何というか。
- 適々斎塾(適塾)
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- 1万石につき米100石を大名から臨時に上納させ、代わりに参勤交代を緩和した制度の名称を答えよ。
- 上げ米
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- 三方領知替えは、ある藩の民衆の反対で中止された。何藩で反対が強かったか。
- 庄内藩
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- 白河藩主松平定信に仕え、絵を谷文晁に学んだが、のちオランダ人に銅版画や洋画を学び、「浅間山図屏風」を残したのは誰か。
- 亜欧堂田善
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- 田沼意次は増収策として銅・鉄・真鍮・人参などを幕府の専売し、幕府直営の施設を増設した。この施設を何というか。
- 座
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- 鳴滝塾を開いた商館医が帰国の時、国外への持ち出しが禁じられていた日本地図を持っていたため国外追放となった。この事件を何というか。
- シーボルト事件
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- 1758年、垂加神道を学んだ人物が公家たちに尊王論を説き、追放刑に処せられた事件を何というか。
- 宝暦事件
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- 長州藩では他国の廻船の積荷を抵当に、資金の貸付や委託販売を行い利益を得た。このために下関に設けられた役所を何というか。
- 越荷方
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- 米沢藩主で鷹山と号し、財政を再建して殖産興業につとめたり、藩校興譲館を再興して学問を奨励したのは誰か。
- 上杉治憲
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- 狂歌の代表的作家で、四方赤良とか寝惚先生などの戯号を持った幕臣は誰か。
- 大田南畝
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- 田沼意次に派遣された北方探査隊の中心人物は誰か。
- 最上徳内
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- 水戸藩主徳川斉昭の側用人で、尊王様夷論を説いた水戸学者は誰か。
- 藤田東湖
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- 19世紀初期の読本の作家で、雄大な構想と複雑な事件を整然と脚色したのは誰か。
- 曲亭馬琴
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- 江戸で兵学塾を開き、幕府の要地攻略を例として説いたため、藤井右門とともに死刑に処せられたのは誰か。
- 山県大弐
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- 町人や百姓が米商人や富商を襲い、家屋や家財を破却した反抗運動を何というか。
- 打ちこわし
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- 肥前藩では小作地を収公し、一部を地主に再給付し、残りは小作人に分けて本百姓にした。この土地制度を何というか。
- 均田制
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- 洒落本の短編小説の代表的作家で、風俗を乱すものとして寛政の改革で手鎖50日の処罰を受けたのは誰か。
- 山東京伝
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- 高野長英がモリソン号事件を批判した著書名をあげよ。
- 『戊戌夢物語』
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- 懐徳堂出身の町人学者で、唯物論・無神論を説いたのは誰か。
- 山片蟠桃
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- 近松門左衛門の指導を受け、18世紀前半に活躍した浄瑠璃作家で座元でもあった人は誰か。
- 竹田出雲
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- 寛政の改革では、各地に倉を設け米穀をたくわえるように命じたが、この倉を何というか、2つあげよ。
- 社倉・義倉
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- 全国の沿岸を実測し、『大日本沿海輿地全図』を作成したのは誰か。
- 伊能忠敬
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- 田沼意次は蝦夷地の開発やロシアとの貿易を計画したが、このことを意次に進言した仙台藩医は誰か。
- 工藤平助
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- 風景版画の大成者の一人で、和漢洋諸派の画法を学び独自の画風を開き、富士山を大胆な構図と剛健な筆致で描いたのは誰か。
- 葛飾北斎
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- 復古神道を大成し、幕末の尊王懐夷運動に影響を与えた国学者は誰か。
- 平田篤胤
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- 『農政本論』『経済要録』で産業の国産化を説いた人物は誰か。
- 佐藤信淵
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- 17世紀後半から増え始めた、村々の代表者が要求をとりまとめて領主に直訴する一揆を何というか。
- 代表越訴型一揆
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- ラクスマンの使節が幕府に引渡した漂流民は誰か。
- 大黒屋光太夫
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- 天文方高橋景保の建議により、幕府天文台に設置された蘭書翻訳機関は何か。
- 蛮書和解御用
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- オランダ人ハルマの『蘭仏辞典』を翻訳して、日本最初の蘭日辞書を作成した人は誰か。
- 稲村三伯
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- 役高の低い者が役高の高い役職に就けるように、在職中のみ不足分を役料で補う制度の名称を答えよ。
- 足高の制
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- 江戸時代の社交場ともいうべき湯屋や髪結床を舞台に、庶民のさまざまな様子を描いたのは誰か。
- 式亭三馬
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- 葛飾北斎の代表作で、富士を各地から眺めた46枚の風景版画を何というか。
- 『富嶽三十六景』
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- 江戸時代、各藩が藩士教育のために設立した教育施設を何というか。
- 藩校(藩学)
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- 懐徳堂出身の町人学者で、『翁の文』や『出定後語』などで、儒教・仏教を否定したのは誰か。
- 富永仲基
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- 幕末に本百姓体制の再建など農村の復興につとめ、磁器の専売など殖産興業につとめた藩主は誰か。
- 鍋島直正
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- 18世紀後半に活躍した科学者で、長崎遊学後、江戸で寒暖計やエレキテル(摩擦起電器)を製作し、また西洋画にもすぐれた手腕を発揮した人物は誰か。
- 平賀源内
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- 寛政の改革で、百姓の出稼ぎを制限し、正業を持たないものに対し資金を与えて農村へ帰ることを奨励した政策を何というか。
- 旧里帰農令
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- モリソン号による事件を知り、幕府の方針を批判した江戸の蘭学者のグループが処罰される事件がおこったが、この事件を何というか。
- 蛮社の獄
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- 江戸時代中期におこった学問で、日本の民族精神の根源を、古典のなかで究明しようとした学問を何というか。
- 国学
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- 竹田出雲らの作品で、赤穂事件を室町期に擬して描いた戯曲を何というか。
- 『仮名手本忠臣蔵』
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- 文人・学者が描いた文人画の画家として、与謝蕪村とともに『十便十宜図』を描いたのは誰か。
- 池大雅
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- 伊勢松坂の医者で、自宅の鈴の屋で国学を講じ、精緻な実証的古典研究法や復古思想を大成した人は誰か。
- 本居宣長
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- 一茶が日記風に著わした随筆と発句からなる俳書を何というか。
- 『おらが春』
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- 幕府の松前蝦夷地御用として、1798年以降、数回にわたり千島方面の探査を行った人は誰か。
- 近藤重蔵
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- 1824年、オランダ商館医シーボルトが長崎郊外に開き、高野長英らが学んだ医学塾を何というか。
- 鳴滝塾
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- 18世紀半ばの思想家で、万人が平等に耕す自然の世を理想とし、身分制の世の中を否定した八戸の医者は誰か。
- 安藤昌益
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- 式亭三馬が著わした湯屋を舞台とする滑稽本を何というか。
- 『浮世風呂』
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- 異国船打払令(無二念打払令)によって、日本人漂流民を引渡すため来航したアメリカ商船が、相模の浦賀や薩摩の山川で砲撃された。この事件を何というか。
- モリソン号事件
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- 七分積金では、節約させた7割をどこに運用させたか。
- 江戸町会所
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- 18世紀初めころ、町人道徳として、神・仏・儒の諸説を平易に説明し、倹約・堪忍・正直や知足安分をはじめて説いたのは誰か。
- 石田梅岩
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- 寛政の改革では、江戸の町人に町費を節約させ、その7割を積み立てさせて貧民救済にあてるよう指導したが、これを何というか。
- 七分積金
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- 調所広郷による薩摩藩の改革で強化された専売品をあげよ。
- 黒砂糖
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- 渡辺崋山がモリソン号事件を批判した著書名をあげよ。
- 『慎機論』
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- 江戸時代の儒学の一派で、儒学の諸説を取捨選択して穏当な学説を立てようとした学派を何というか。
- 折衷学派
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- 江戸末期から明治期にかけて活躍した歌舞伎狂言作者で、盗賊をテーマとする白浪物とよばれる脚本で大当りしたのはか。
- 河竹黙阿弥
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- 金銭貸借をめぐる訴訟を当事者間で解決させることとした法令は何か。
- 相対済し令
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- 11代将軍として一橋家から迎えられたのは誰か。
- 徳川家斉
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- 草双紙は青本から大人の読み物になり、田沼時代には表紙の色も改まり、風俗・芝居・見世物など江戸市中の話題を取り上げる時事性を持ったものになった。これを何というか。
- 黄表紙
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- 為永春水の代表作をあげよ。
- 『春色梅児誉美』
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- 18世紀半ばころから流行した短編小説で、遊里を舞台に、日常会話を主体として町人の遊興や「通」の姿を、滑稽・軽妙に描いたものを何というか。
- 洒落本
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- 松平定信は、1792(寛政4)年に、ロシアに備えて海防の必要を説いた人物を禁錮刑に処し、著書を絶版・発売禁止にした。この弾圧された人物は誰か。
- 林子平
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- 徳川吉宗は、漢訳洋書の輸入制限を緩和し、西洋の技術・学問の吸収を図った。併せて様々な作物の栽培が奨励されたが、甘藷の普及に関して登用された人物は誰か。
- 青木昆陽
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- 新井白石の時代に日本への布教を志し、屋久島に潜入し捕えられたイタリア人宣教師は誰か。
- シドッチ
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- 天保の改革の時の将軍は誰か。
- 徳川家慶
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- 西川如見が、長崎で見聞した海外事情や通商について記述した書物を何というか。
- 『華夷通商考』
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- 蛮社の獄で処罰された陸奥水沢出身の人物で、医学をシーボルトに学んだのは誰か。
- 高野長英
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- 1776年、米沢藩主上杉治憲によって再興された藩校の名称を答えよ。
- 興譲館(創建は1697年)
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- 蛮社の獄で処罰された人物で、三河田原藩家老で、文人画家としても著名であったのは誰か。
- 渡辺崋山
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- 人情本の代表的作家で、天保の改革で処罰されたのは誰か。
- 為永春水
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- 吉田松陰が尊攘倒幕派の人材を育てた学塾の名をあげよ。
- 松下村塾
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- 幕末の農民指導者で、下総国に土着して農村復興や農業生産の合理化を説いたのは誰か。
- 大原幽学
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- 藤田幽谷に学び、著書『新論』で尊王様夷論を説いた水戸学者は誰か。
- 会沢安
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- 『誹風柳多留』初編を刊行した、川柳の始祖は誰か。
- 柄井川柳
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- 収入の不安定な検見法にかわり、豊凶に関係なく年貢率を一定期間固定した徴税方法を何というか。
- 定免法
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- 風景版画の大成者の一人で、歌川派の画法を学び、1833年に代表作となる東海道宿場の風景と風俗の版画を刊行して名声を得たのは誰か。
- 歌川広重
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- 松平定信は天明の飢饉の教訓を活かし、諸藩に対し1万石につき50石の貯蔵を命じたが、これを何というか。
- 囲米
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- 東北各地を巡歴し、貴重な民俗資料を残した三河出身の国学者はか。
- 菅江真澄
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- 大御所時代の末期に洪水・冷害などにより東北地方を中心に全国的な飢饉がおこったが、この飢饉を何というか。
- 天保の飢饉
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- 工場を設立し賃労働者を集めて、分業による協同作業を行う生産様式を何というか。
- 工場制手工業(マニュファクチュア)
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- 評定所の門前に設置され、庶民の意見が投書された意見箱の名称は何か。
- 目安箱
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- ロシアの接近にともない、江戸幕府が1799年に直轄とした地域はどこか。
- 東蝦夷地
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- 『稽古談』を著し、藩専売制の採用、重商主義を説いたのは誰か。
- 海保青陵
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- 1807年、江戸幕府の直轄地となった全蝦夷地を支配した役職を何というか。
- 松前奉行
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- 塙保己一が幕府の許可を得て設立した学問所を何というか。
- 和学講談所
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- 庶民教育のための学校としては、岡山藩の郷学が著名である。その名称を答えよ。
- 閑谷学校
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- 長州藩主毛利敬親が登用した人物で、負債の整理や専売制の改正など、藩政改革を担当したのは誰か。
- 村田清風
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- 賀茂真淵に学び、古代から江戸初期にいたる国書を分類・集録し、その後の国文・国史の研究に大きく貢献した盲目の国学者は誰か。
- 塙保己一
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- 『暦象新書』を著し、万有引力説や地動説を紹介したオランダ通詞で、ドイツ人医師ケンペルの書物『日本誌』の一部を「鎖国論」の題で訳した人物は誰か。
- 志筑忠雄
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- 読本の初期に登場した上方の作家の作品で、日本・中国の古典からとった怪談を取り扱ったものを何というか。
- 『雨月物語』
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- 雨月物語の作者は誰か。
- 上田秋成
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- 1840年、幕府は川越藩を庄内藩へ、庄内藩を長岡藩へ、長岡藩を川越藩へと転封する計画をした。この計画を何というか。
- 三方領知(領地)替え
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- 水野忠邦は幕府権力の強化のため、江戸・大坂周辺の大名・旗本領を直轄領にする命令を出して失敗した。この命令を何というか。
- 上知令
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- 1827年に、農村秩序を維持するため、関東において幕領・私領を問わず40~50カ村をあわせて設定された組織は何か。
- 寄場組合
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- 絵画を銅板に刻んで印刷したものを何というか。
- 銅版画
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- 随筆集『北越雪譜』を著した越後の文人は誰か。
- 鈴木牧之
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- 松平定信は民間に対してはきびしい出版統制令を出したが、風俗を乱すとの理由で処罰を受けた洒落本作家は誰か。
- 山東京伝
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- 浮世絵版画のうち、人物の上半身や顔のみを大写しに描いたものを何というか。
- 大首絵
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- ラクスマンの使節が来航した時、幕政を担当していたのは誰か。
- 松平定信
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- 黄表紙の第一人者は、寛政の改革を風刺した小説を著わし幕府に処罰された。この人物を答えよ。
- 恋川春町