一問一答
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- 隋が滅んで618年に興った国はどこか。
- 唐
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- 大臣・大連の下で、品部や伴(品部を率いる役職)を率いる地位の名称は何か。
- 伴造
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- 古墳の墳丘上に並べられる素焼きの焼き物の総称は何か。
- 埴輪
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- 下図のような、古墳時代前期に見られる埴輪の総称は何か。筒型・壺形などがある。
- 円筒埴輪
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- 弁韓と呼ばれた地域は、4~6世紀になっても小国の分立が続いた。これらの小国Cをまとめて何と称すか。
- 加耶諸国
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- 6世紀頃、『古事記』『日本書紀』の編纂材料がまとめられたと考えられている。朝廷の伝承・説話をまとめたものの名称は何か。
- 「旧辞」
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- 豪族の私有民の名称は何か。
- 部曲
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- 法隆寺が所蔵する、小型の仏像を安置する仏具の名称は何か。
- 玉虫厨子
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- 6世紀に仏教の公伝をおこなった百済の王は誰か。
- 聖明王(聖王)
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- 円筒埴輪に対して、古墳時代前期後半に現れる家形埴輪、器財埴輪、さらに後期に現れる人物・動物埴輪などの総称は何か。
- 形象埴輪
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- 6世紀に台頭した氏族で、大伴金村の失脚後、物部氏と2大勢力になったのは何氏か。
- 蘇我氏
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- 蘇我氏と物部氏は仏教の受容をめぐり対立した。崇仏論争において、受容に積極的な立場をとったのは誰か。
- 蘇我稲目
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- 527年、反乱を起こした筑紫国造磐井は朝鮮半島のどこの国と通じていたか。
- 新羅
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- 下図は横穴式石室を示す。遺体を安置する主室(斜線部分)の名称は何か。
- 玄室
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- 氏族の家で奉仕する奴隷の名称は何か。
- 奴(奴婢)
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- 5世紀になると、高句麗との戦乱を逃れた人々が倭国に多く渡来した。これらの人々の名称は何か。
- 渡来人
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- 裴世清の帰国に合わせ、倭国から再び遣隋使が送られた。この遣隋使に同行した3人の留学生・学問僧は誰か。
- 高向玄理・旻・南淵請安
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- 589年、中国を統一した国はどこか。
- 隋
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- 倭の五王の最後「武」は、何天皇とされているか。
- 雄略天皇
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- 603年に定められた冠による位階制度の名称は何か。
- 冠位十二階
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- 稲荷山古墳出土の鉄剣銘、および江田船山古墳出土の鉄刀銘に見られる大王(ワカタケル)は何天皇と考えられているか。
- 雄略天皇
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- 物部氏の滅亡後、新たに大王に擁立されたのは誰か。
- 崇峻天皇
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- 3世紀後半に西日本を中心に登場する、墳丘をもつ墓の総称は何か。
- 古墳
墳丘墓との違いは3点ある。古墳は、①規模が遙かに大きく②膨大な副葬品があり③埴輪が並ぶ。
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- 推古天皇に国事を任された人物は誰か。またその役職は何か。
- 人物…厩戸王役職…摂政
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- 司馬達等の孫で、北魏様式の仏師は誰か。
- 鞍作鳥(止利仏師)
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- 氏姓制度で、豪族は血縁や出身地をもとに組織化された。この組織の名称は何か。
- 氏
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- 品部のうち、錦織に従事した技術集団の名称は何か。
- 錦織部
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- 587年、蘇我馬子によって滅ぼされた人物は誰か。
- 物部守屋
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- 朝鮮半島から伝えられた技術で、5世紀以降作られた土器の名称は何か。
- 須恵器
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- ヤマト政権の直轄領の名称は何か。
- 屯倉
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- 下図の①~③のうち、法隆寺の伽藍配置はどれか。
- ③
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- 5世紀初めから約1世紀の間、倭の五王が相次いで中国の南朝に朝貢していた。このことを伝える歴史書の記事名は何か。
- 『宋書』倭国伝
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- 古墳時代には呪術的風習もおこなわれた。鹿の骨を焼いて吉凶を占う呪術の名称は何か。
- 太占の法
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- 4世紀後半、倭国(ヤマト政権)は百済などとともに高句麗と争った。倭国と高句麗の交戦を記す碑文の名称は何か。
- 好太王碑の碑文
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- 6世紀の古墳時代後期になると、古墳に様々な変化が生じた。墓室に彩色あるいは線刻された壁画をもつ古墳の総称は何か。
- 装飾古墳
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- 7世紀前半の仏教文化の名称は何か。
- 飛鳥文化
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- 法隆寺金堂に安置される北魏様式の仏像の名称は何か。
- 釈迦三尊像
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- 中国東北部からおこり、朝鮮半島北部に領土を広げ、313年には楽浪郡を滅ぼした国はどこか。
- 高句麗
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- 馬子による崇峻天皇暗殺後、次いで即位した天皇は誰か。
- 推古天皇
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- 豪族の私有地の名称は何か。
- 田荘
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- 古墳時代の豪族は、民衆たちの集落から離れた場所に周囲を濠・柵で囲った館を設けた。この館を何と呼ぶか。
- 居館
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- 古墳時代前期から中期の初めまで多く用いられた、弥生土器の系譜を引く土器の名称は何か。
- 土師器
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- 5世紀後半から6世紀にかけて増加した、密集する小古墳群の名称は何か。
- 群集墳
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- 6世紀、地方豪族が任じられた地方官の名称は何か。
- 国造
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- 飛鳥寺に安置される北魏様式の仏像の名称は何か。
- 釈迦如来像
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- 磐井の墓とされる古墳の名称は何か。
- 岩戸山古墳
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- 下図は、369年に百済王が倭王のために作らせ、贈った刀である。石上神宮所蔵のこの刀を何と呼ぶか。
- 七支刀
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- 6世紀、聖明王から仏教を伝えられたとされる天皇は誰か。
- 欽明天皇
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- 604年に定められた成文法の名称は何か。
- 憲法十七条
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- 下図のような形の古墳の名称は何か。
- 前方後円墳
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- 弥生時代と同様に農耕に関する祭祀は、古墳時代の人々にとっても大切なものであった。収穫を感謝する秋の祭祀の名称は何か。
- 新嘗祭
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- これまでの古墳に代わり、寺院建立が豪族の権威を示すものとなった。厩戸王(聖徳太子)の創建とされる最古の木造建築遺構である寺院の名称は何か。
- 法隆寺
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- 極楽浄土の様子を描いた日本最古の刺?の名称は何か。
- 天寿国?帳
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- 4世紀に辰韓からおこった国Bの名称は何か。
- 新羅
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- 中宮寺に安置される南朝様式の仏像の名称は何か。
- 半跏思惟像
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- 法隆寺夢殿に安置される北魏様式の仏像の名称は何か。
- 救世観音像
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- 6世紀、ヤマト政権に仏教を伝えたとされる百済の王は誰か。
- 聖明王
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- 6世紀頃、『古事記』『日本書紀』の編纂材料がまとめられたと考えられている。大王の系譜を中心とする古代の伝承・歴史をまとめたものの名称は何か。
- 「帝紀」
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- 仏教公伝の時期について、2つの学説が存在する。仏教公伝を538年と主張する学説が、その拠り所とする史料の名称は何か。2つ挙げよ。
- 『元興寺縁起』『上宮聖徳法王帝説』
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- 倭の五王に数えられる5人の名前は何か。
- 讃・珍・済・興・武
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- 倭の国書を無礼とした隋の皇帝は誰か。
- 煬帝
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- 広隆寺に安置される百済・南朝様式の仏像の名称は何か。
- 半跏思惟像
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- 円錐形の整った山、高い樹木、絶海の孤島、巨大な岩などは、神の宿るところと考えられた。奈良県桜井市にある神社で、三輪山を神体とする神社の名称は何か。
- 大神神社
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- 国書を届けた翌年、煬帝による命令で倭国を訪れた人物は誰か。
- 裴世清
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- ヤマト政権の直轄民の名称は何か。
- 名代・子代
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- 610年に来日し、絵の具、紙墨の製法を伝えた高句麗の僧は誰か。
- 曇徴
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- これまでの古墳に代わり、寺院建立が豪族の権威を示すものとなった。物部守屋の死後、厩戸王(聖徳太子)が現大阪市に建立した寺を何というか。
- 四天王寺
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- 厩戸王による法華経・維摩経・勝鬘経の注釈書の総称は何か。
- 三経義疏
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- 527年、新羅と結んで反乱を起こした筑紫国造は誰か。
- 磐井
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- 仏教公伝の時期について、2つの学説が存在する。仏教公伝を552年と主張する学説が、その拠り所とする史料の名称は何か。
- 『日本書紀』
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- 出現期(古墳時代前期)に形成された、大和地方を中心とする政治連合の名称は何か。
- ヤマト政権
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- 奈良県にあり、下図の壁画をもつ装飾古墳の名称は何か。
- 高松塚古墳
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- 「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なき云々」の文が載る史料の名称は何か。
- 『隋書』倭国伝
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- 氏姓制度で、豪族が氏単位に賜与された称号の名称は何か。
- 姓
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- 古墳時代中期に造営され、国内最大の前方後円墳の名称は何か。また、何天皇の陵墓か。
- 名称…大仙陵古墳
天皇…仁徳天皇
*古墳は全長486m
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- 602年に来日し、暦法などを伝えた百済の僧は誰か。
- 観勒
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- 古墳時代の呪術的風習で、水に入り、ケガレを除くことを何というか。
- 禊
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- 6世紀初めに、朝鮮半島への政策をめぐり失脚した人物は誰か。
- 大伴金村
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- 古墳時代には呪術的風習もおこなわれた。熱湯に手を入れて、手がただれるかどうかで真偽を判断する神判の名称は何か。
- 盟神探湯
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- 法隆寺は、670年の焼失後、7世紀後半に再建されたといわれる。その根拠とされるものを何というか。
- 若草伽藍
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- ヤマト政権において、5世紀から漢字の使用が始まった。漢字の使用を伝える鉄剣が出土した、漢字の使用を伝える鉄刀が出土した、熊本県の古墳の名称は何か。
- 江田船山古墳
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- ヤマト政権の中枢は、臣姓・連姓の氏族がそれぞれ1人輩出して担った。ヤマト政権の最高執政者の1人で、臣姓氏族の最高位者の名称は何か。
- 大臣
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- 下図のような、古墳時代前期~中期の古墳に見られる内部構造の名称は何か。
- 竪穴式石室
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- 607年、遣隋使として国書を届けた人物は誰か。
- 小野妹子
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- 憲法十七条の成文法に載る「仏・法・僧」の総称は何か。
- 三宝
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- 6世紀、百済から渡来した五経博士が伝えた思想は何か。
- 儒教
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- 下図のような、古墳時代後期の古墳に見られる内部構造の名称は何か。
- 横穴式石室
4世紀末に朝鮮半島から伝えられ、古墳時代後期に竪穴式石室に代わって普及した。入口の石をどければ、追葬が可能となる。
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- ヤマト政権の中枢は、臣姓・連姓の氏族がそれぞれ1人輩出して担った。ヤマト政権の最高執政者の1人で、連姓氏族の最高位者の名称は何か。
- 大連
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- 法隆寺に安置される百済・南朝様式の仏像の名称は何か。
- 百済観音像
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- 古墳時代の呪術的風習で、種々の儀礼(御幣を振るなど)によりケガレをとりはらうことを何というか。
- 祓
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- 5世紀、古墳時代の竪穴住居の壁ぎわに設けられた煮炊き用の設備を何と呼ぶか。
- かまど
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- ヤマト政権において、5世紀から漢字の使用が始まった。漢字の使用を伝える鉄剣が出土した、埼玉県の古墳の名称は何か。
- 稲荷山古墳
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- 下図は横穴式石室を示す。斜線部分の狭い通路の名称は何か。
- 羨道
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- 4世紀に馬韓からおこった国Dの名称は何か。
- 百済
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- これまでの古墳に代わり、寺院建立が豪族の権威を示すものとなった。蘇我馬子の創建である寺院の名称は何か。
- 飛鳥寺(法興寺)
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- 品部のうち、鍛冶・銅工などに従事した技術集団の名称は何か。
- 韓鍛冶部
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- 品部のうち、須恵器の生産に従事した技術集団の名称は何か。
- 陶作部
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- 弥生時代と同様に農耕に関する祭祀は、古墳時代の人々にとっても大切なものであった。豊作を祈る春の祭祀の名称は何か。
- 祈年祭