一問一答
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- 京都を脱した後醍醐天皇は吉野へ逃げて自らの皇位を主張した。吉野の朝廷は何と呼ばれたか。
- 南朝
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- 綸旨による土地問題の解決は反発を招いたため、独立して土地の訴訟問題に対処することとなった機関の名称は何か。
- 雑訴決断所
天皇が綸旨で示した判決は、実態にそぐわないことが多く、武士たちの反発が大きかった。そのため、土地問題のみは天皇から独立した機関が担った。
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- 成良親王・足利直義が任じられ、関東の統治を司った機関の名称は何か。
- 鎌倉将軍府
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- 義良親王・北畠顕家が任じられ、奥州の統治を司った機関の名称は何か。
- 陸奥将軍府
北畠顕家は、北畠親房の子である。
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- 京都を脱した後醍醐天皇は吉野へ逃げて自らの皇位を主張した。京都の朝廷は何と呼ばれたか。
- 北朝
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- 建武の新政において、一般政務を担当した機関の名称は何か。
- 記録所
もとは、1069年に後三条天皇が設置した記録荘園券契所である。
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- 建武の新政において、京都の警備を担当した機関の名称は何か。
- 武者所
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- 建武の新政において、恩賞事務を担当した機関の名称は何か。
- 恩賞方
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- 新政による急激な変化には不満の声が多く、民衆の声を代弁する800余字の落書(風刺)が二条河原に掲げられた。この落書の名称は何か。
- 二条河原落書
連歌で書かれている。二条河原落書の文中「偽綸旨」という部分は、空欄補充できるようにしたい。
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- 建武の新政において、訴訟・土地所有の確認などに効力をもった天皇の文書は何か。
- 綸旨
天皇の文書は本来「宣旨」であるが、相手に伝わるまで仲介者を多く挟み、指揮系統に遅れが生じる。そのために仲介者を減らした簡略版が「綸旨」である。
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- 1335年、反乱を起こした北条高時の遺児は誰か。
- 北条時行
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- 1335年の北条時行による反乱の名称は何か。
- 中先代の乱
先代(北条氏)から後代(足利氏)に移る過渡期に起きたことから、「中先代」とつけられた。
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- 中先代の乱の鎮圧後、鎌倉で新政権の組織を進めた人物は誰か。
- 足利尊氏
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- 1336年、足利尊氏が京都の制圧後に即位させた天皇は誰か。また、この天皇は持明院統・大覚寺統のいずれか。
- 天皇…光明天皇血統…持明院統
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- 鎌倉幕府滅亡後、1334年に後醍醐天皇が始めた新政の名称は何か。
- 建武の新政