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満州事変

満州事変

背景
中国
日本の満蒙権益に対する国権回復運動が高揚
日本
関東軍の満州占領計画
*協調外交に不満
発端
 柳条湖事件 (1931.9、奉天郊外)
関東軍が満鉄の線路を爆破
中国側の犯行として軍事行動
経過
第2次若槻礼次郎内閣は「不拡大方針」を決定
関東軍は無視して戦線拡大、満州の主要地域占領
若槻内閣退陣

満州国建国

満州国建国
関東軍が「満州国」を建国(1932)
*執政
清の最後の皇帝溥儀
日満議定書調印(1932)
斎藤実内閣が「満州国」を正式承認

国際連盟脱退

 リットン調査団 (1932.2~.9)
国際連盟による満州事変調査
調査団の報告書に基づく連盟からの勧告案
日本軍撤兵と「満州国」否認
拒否して国際連盟脱退(1933、発効は1935)
国際的に孤立
満州事変の停戦
 塘沽停戦協定 締結(1933)
中国側が日本の満州支配を黙認

日中戦争

盧溝橋事件

関東軍の華北分離工作
「満州国」の安全確保や資源獲得のため
盧溝橋事件(1937.7.7、 北京 郊外)
日中両軍の衝突、日中戦争の発端
第1次近衛内閣は「不拡大方針」
軍部の圧力で方針変更、戦線拡大

戦局の拡大

拡大:第2次 上海 事変(1937.8)
 南京 占領(1937.12)
中国の抗戦
国民党と共産党が停戦、 抗日民族統一戦線 を結成
*1927年に国民党が中華民国に国民政府樹立、以降も共産党と対立
南京占領後も、国民政府は漢口、そして重慶と退き、徹底抗戦
近衛声明
対中国声明、早期和平交渉の失敗
1月:「 国民政府を対手あいてとせず 」声明
交渉による和平の道を閉ざす
11月:戦争遂行目的は「東亜新秩序」の建設にあると言明
12月:近衛三原則「善隣友好・共同防共・経済提携」
新政府樹立
南京に新国民政府樹立(1940)
日本の傀儡政権、弱体

日米開戦への過程

南進政策

アメリカとの対立
日本の中国での軍事行動を危険視
アメリカの通商権益の妨害
1939年7月、 日米通商航海条約 廃棄通告(1940年1月条約失効)
軍需資材が入手困難となる
資源を求めて南方進出
 北部仏印 進駐(1940.9、第2次近衛文麿内閣
1940年9月、日本軍、北部フランス領インドシナ半島(北部仏印)へ進駐
背景
欧州でのドイツの快進撃
降伏した欧州諸国の植民地を狙う
目的
日中戦争のための戦略物資の確保、「援蔣ルート」の遮断
日独伊三国同盟(1940.9、第2次近衛文麿内閣)
日本全権は松岡洋右外相、第三国の攻撃に対する相互援助を規定
アメリカの反応
日米の対立が決定的となる
くず鉄・鉄鋼の対日輸出禁止

太平洋戦争の開戦と戦局の展開

出来事(★=連合国の首脳会談)
1941.1










10

11

12
日ソ中立条約
日本全権は松岡洋右外相
日米交渉開始
野村吉三郎駐米大使とハル国務長官
ドイツ・ソ連が開戦
関東軍特種演習計画
ソ連を牽制
 南部仏印 進駐
アメリカが在米日本資産凍結や対日 石油 輸出禁止
★大西洋上会談
米・英、ファシズム諸国に対する戦争目的を表明(大西洋憲章)
第3次近衛内閣総辞職
 東条英機 内閣成立
ハル=ノート提示
アメリカの最後通告
真珠湾攻撃、マレー半島上陸
太平洋戦争の開始
1942.6  ミッドウェー海戦 での敗北
戦局の転換(アメリカの反撃)
1943.11  大東亜会議 
占領地域の代表を東京に集め、大東亜共栄圏の結束を誇示
 カイロ会談 
米・英・中、対日戦遂行・対日戦後処理を宣言(カイロ宣言)
1944.7  サイパン島 陥落
本土空襲の本格化
東条内閣総辞職
小磯国昭内閣成立
1945.2

1945.4

1945.7



1945.8
★ヤルタ会談
米・英・ソ、対独戦後処理やソ連の対日参戦を密約
アメリカ軍、沖縄本島上陸( 沖縄戦 
小磯内閣総辞職
★ポツダム会談
米・英・ソ、米・英・中で日本の無条件降伏を勧告(ポツダム宣言)
*ポツダム宣言
国体護持(天皇制維持)を保証する条件の記載なし
原子爆弾投下(6日:広島、9日:長崎)
ソ連が日本に宣戦布告
満州・朝鮮に侵入
ポツダム宣言受諾(鈴木貫太郎内閣、無条件降伏)
昭和天皇が終戦の詔書を ラジオ 放送
玉音放送
降伏文書調印
代表は重光葵外相と参謀総長梅津美治郎