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執権政治の確立

3代執権北条泰時の政治(在職1224~1242)

合議制の整備

*執権政治…執権と有力御家人による合議制
 連署 の設置
執権補佐役
 評定衆 の設置
重要政務決定、有力御家人11名を任命

 御成敗式目  貞永式目 )制定(1232)

御家人の権利義務や所領相続を規定、大犯三ヵ条などの成文化
律令・公家法・本所法を否定しない=適用対象は御家人のみ
基準:源頼朝以来の 先例 、武家社会の慣習である 道理 

5代執権北条時頼の政治(在職1246~1256)

執権政治の安定・強化⇒北条氏独裁の傾向
1247年、 宝治合戦 
時頼が 三浦泰村 を滅ぼした戦い
1249年、 引付衆 の設置
裁判制度の強化
1252年、皇族将軍の擁立
 後嵯峨 上皇の子 宗尊親王 

蒙古襲来とその影響

蒙古襲来(元寇)

 文永の役 (1274)

契機:元が日本に度重なる服属要求
8代執権 北条時宗 が拒否
経過:元・高麗軍が九州北部に上陸
元軍:集団戦法、てつはうの使用/日本軍:一騎打ち
日本軍は苦戦したが、元軍退去

警戒強化

 異国警固番役 の強化、防塁(石築地)の構築

 弘安の役 (1281)

契機:1279年、元が南宋を滅ぼす
再び日本征服を目指す
経過:東路軍(元・高麗軍)と江南軍(旧南宋兵)が博多に侵攻
暴風雨に見舞われ、元軍敗退

蒙古襲来の影響

幕府の影響力の拡大

1293年、 鎮西探題 の設置
九州の御家人統括
*9代執権北条貞時の時
非御家人の動員権を獲得
幕府の支配権が全国的に強化

御家人の窮乏化

蒙古襲来
御家人は多大な出費
恩賞の不足
御家人の窮乏化

得宗専制政治の成立

得宗専制政治

経緯:蒙古襲来を経て、幕府支配権の強化
北条氏の権力がさらに拡大
特に得宗(北条氏の惣領)に権力集中
特徴:得宗が実権を握り、得宗と御内人(得宗の家臣)が主導する政治
得宗の権力の強大化、御内人の横暴化
有力御家人と対立

9代執権北条貞時の政治(在職1284~1301)

北条貞時の時代
得宗専制政治の確立
1285年、 霜月騒動 
内管領(御内人の代表)の 平頼綱  安達泰盛 を滅ぼした
霜月騒動後、平頼綱の横暴化
1293年、北条貞時が平頼綱を滅ぼす
貞時が幕府の全権を掌握する

 永仁の徳政令 (1297)

内容:①質入・売却した御家人の所領を下記の場合に無償返還
*御家人に売却後20年未満の土地、非御家人・庶民への売却地
内容:②御家人の土地売買・質入禁止
結果:御家人は借上から借金ができなくなり、さらに窮乏

鎌倉幕府の滅亡

鎌倉時代末期の朝廷と幕府

朝廷
後嵯峨上皇の死後、皇統分立
後深草上皇(兄)の皇統= 持明院 
亀山天皇(弟)の皇統= 大覚寺 
両統迭立(持明院統と大覚寺統が交互に皇位につく)
幕府
14代執権・得宗の北条高時、内管領の長崎高資による得宗専制政治
得宗専制政治に対する御家人の反発、悪党の活発化

後醍醐天皇の討幕計画

 後醍醐 天皇( 大覚寺 統、在位1318~1339)
計画
1324年、 正中の変 =失敗
1331年、 元弘の変 =失敗⇒光厳天皇の即位(後醍醐天皇は隠岐に配流)

反幕府勢力の武力蜂起

護良親王(後醍醐天皇の皇子)・楠木正成らが幕府軍と戦いを継続
後醍醐の隠岐脱出
 足利高氏 が京都の 六波羅探題 を攻め落とす
 新田義貞 が鎌倉を占領
北条高時は自害
1333年、鎌倉幕府の滅亡