自由主義的政策と社会主義の芽生え

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概要
ウィーン体制下、大陸諸国で抗争が繰り広げられました。一方、体制から距離をとったイギリスでは労働・選挙・貿易などで自由主義的政策が採られました。しかし、労働者の立場はまだ弱く、富の公平な分配を目指す社会主義思想が生まれたり、選挙法改正に反発するチャーティスト運動が起こったりしました。

イギリスの諸改革

自由主義的政策

1820年代、イギリスは次の自由主義的政策を実施しました。
  • 1824年、団結禁止法廃止
    労働組合の結成を許可
  • 1828年、審査法廃止
  • 1829年、カトリック教徒解放法成立
    オコンネルの活動で成立し、カトリック教徒の公職への就任を許可

選挙制度の改革

1832年、第1回選挙法改正
、第1回選挙法改正 有権者の減った選挙区(腐敗選挙区)を廃止し、産業資本家などの都市中産階級に選挙権を許可
1918年の第4回で21歳以上の男性、30歳以上の女性に選挙権を許可
1928年の第5回で21歳以上の男女に選挙権を許可
1830年代後半、改正内容に不満を抱く労働者が、男性普通選挙などを求める人民憲章を掲げて、政治運動チャーティスト運動 を起こしました。
運動は、1839、42、48年に大規模な請願をおこないましたが、すぐに成果をあげられませんでした。
チャーチスト運動
ト運動人民憲章(People's Charter)に由来

貿易政策

産業革命後、イギリスでは自由貿易の要求によって次の政策が実施されました。
  • 1846年、穀物法廃止
    1815年に制定され、地主の利益保護のために安価な外国産穀物の輸入を制限(高関税を設定)
  • 1834年、東インド会社の中国貿易独占権の廃止
  • 1849年、航海法廃止

独立運動と列強の干渉

19世紀、オスマン帝国支配下の諸民族が、帝国の衰退に乗じて独立運動を起こしました。
列強は、この運動に干渉しながら勢力拡張を目指しました。
ここから生じる国際的諸問題を、西欧列強は「東方問題」と呼びました。

ギリシア独立

1821~29年、ギリシア独立戦争
29年、ギリシア独立戦争 ギリシア がオスマン帝国から独立した戦争
1831~33、39~40年、エジプト=トルコ戦争
33、39~40年、エジプト=トルコ戦争 勢力を伸ばしたエジプトが、オスマン帝国にシリアの領有を要求した戦争
1840年、ロンドン会議
、ロンドン会議エジプト総督ムハンマド=アリーにシリアを返還させる一方で、エジプト統治の世襲権を許可

社会主義思想

労働者の待遇改善

産業革命後、イギリスの労働者の生活は悲惨な状況にありました。
伝統的な手工業者が機械制工場に生活を脅かされ、1810年代に、ラダイト運動 (機械うちこわし運動 )を起こしました。
1833年、工場法制定
、工場法制定児童労働に雇用年齢・時間などの制限を設けた一連の法律
以降、労働条件は次第に改善されました。

社会主義思想の芽生え

工場や土地などの生産手段を社会の共有にして資本主義の弊害を除き、平等な社会の建設を説く人々が現れました。

空想的社会主義者

ロバート=オーウェン
ロバート=オーウェン ニューラナークで工場を建設し、労働者の待遇改善に尽力
サン=シモン ・フーリエ
サン=シモン ・フーリエ 労働者階級を保護する新しい社会秩序の樹立に挑戦
ルイ=ブラン
ルイ=ブラン 生産の国家統制を主張
プルードン
プルードン全ての政治的権威を否定する無政府主義を提唱

マルクスの登場

1848年、マルクスと友人エンゲルスが、『共産党宣言 』を発表しました。
マルクスらは、唯物史観 、経済史観(資本主義体制の没落の歴史的必然性)を提唱し、労働者階級の政権獲得を主張しました。
また、マルクスらは、ほかの社会主義者の考えを「空想的社会主義者 」と批判しました。