地理的知識の獲得と地図の歴史
古代
B.C.700年頃のバビロニアの世界地図
粘土板に描かれた世界は、バビロンを中心に円盤状をしています。
B.C.250年~A.D.150年頃のギリシャ
古代ギリシャでは、世界が球体であると考えられていました。
B.C.230年頃、エラトステネスは世界が球体であると仮定し、その大きさ(1周の長さ)を計算しました。
エラトステネス
エラトステネスは、シエネと言う町では夏至の日の正午に深い井戸の底まで太陽光が差し込むことを知りました。また、シエネの北にあるアレキサンドリアでは同日同時刻に7.2°の影ができることを測定しました。ある商人にシエネとアレキサンドリアの距離を尋ねると、925㎞と教えてくれました。
エラトステネスの計算
世界1周の長さをXとすると、X:925㎞=360°:7.2°
従って、X=46250㎞
今日地球1周は40000㎞と分かっています。エラトステネスの計算は、商人から聞いた情報が間違いであったために誤差が生じていますが、考え方は正しかったと言えます。
A.D.150年頃、プトレマイオスは丸い世界の球面を平面に描き表した最初の世界地図を作成しました。経緯線が使用されています。
プトレマイオス
プトレマイオス図
中世
ヨーロッパ(キリスト教圏)
キリスト教的世界観により、科学性が否定され、世界地図も古代以前のものに戻りました。それを表した図が、下のTO図です。Oの字の中にTの字が入り込んだ形のため、こう呼ばれます。
TO図
Oの字は世界をとりまくオケアノスという海で、陸地はTの字でアジア・ヨーロッパ・アフリカに三分割され、中央には聖地イェルサレムが配置されました。また、東の果て(図の上方)には「エデンの園」があると信じられました。
イスラーム圏
古代ギリシャの科学的知識(プトレマイオスの地図など)は、イスラーム圏に受け継がれていました。この知識に、交易なので得た情報が加わり、イスラーム独自の地図が作製されました。その代表的な地図が、下のイドリーシーの世界地図です。
中心はイスラームの聖地メッカで、図の上方が南になっています。
イドリーシーの世界地図
大航海時代以降(15世紀~)
現存する最古の地球儀
1492年、ドイツ人マルティン=ベハイムが現存する最古の地球儀を作製しました。なお、未発見のアメリカ大陸は存在しません。
最古の地球儀
コロンブスの到達
1492年、コロンブスがアメリカに到達しました。コロンブスは、行きには北東貿易風を、帰りには偏西風を利用しました。
コロンブス自身は到達地をインドと信じていましたが、後に別の者がおこなった調査でそこが大陸だと判明しました。以降、ヨーロッパの人々の地理的視野は着々と拡大していきました。
コロンブスの航路
恒常風の風向(青線)
航海用世界地図
1569年、メルカトルが航海用の世界地図を作製しました。
地点Aから地点Bに向かう時、北に対して取る船の舵の角度(舵角)を、この地図上で2点間を結んだ直線と経線のなす角度にすれば、いずれ目的地である地点Bに到達できます。
メルカトルの地図
ほぼ正確な世界地図
1720年、各大陸の位置をほぼ正確に表現した世界地図が作製されました。
ほぼ正確な世界地図
20世紀前半、人類が南極点に到達し、地球上の陸地で人類未到の地はほぼなくなりました。
南極点到達
日本の地図の歴史
奈良時代
日本で最初の地図は、奈良時代の僧行基が作製した行基図と言われています。
行基図
江戸時代
江戸時代後期、伊能忠敬が日本全国を測量して「大日本沿海輿地全図」を作製しました。
大日本沿海輿地全図(画像提供:東京国立博物館)
大日本沿海輿地全図(画像提供:東京国立博物館)
「大日本沿海輿地全図」で知っておきたいことは次の通りです。
- 未踏地を空白にしていること
- 丸い方位盤が配置されていること
- 島や岬から測量のための直線が引かれていること
現代
国土交通省の国土地理院が、地形図・地勢図・土地利用図などの作製を担っています。