日本史の始まり

概要
世界史の上で、人類文化の最古の時代を旧石器時代と言います。この時代に属する文化が我が国で最初に発見されたのは、1949年の群馬県岩宿遺跡の発掘においてでした。「日本に旧石器時代はない」という、学界の保守的な意見を前に、発掘前は研究が進みませんでした。日本での旧石器時代研究はまだ緒についたばかりです。
表記について

気候と人類

地球と列島の気候変動

約260万年前、地球は間氷期かんぴょうき氷期ひょうき を交互に繰り返す更新世こうしんせい氷河時代)を迎えました。
著しい気温の上下で、氷河の大規模な溶解・形成がありました。
つまり、海面の上昇・下降があったことを意味します。
この時代において、大陸と離れていた日本列島も、アジア北東部と少なくとも2回陸続きになりました。

約2万年前の日本列島
*細線は現在の海岸線
陸続きの時に、大型動物が日本列島に渡来しました。
ヘラジカマンモスが北海道以北に、オオツノジカナウマンゾウが北海道以南にほぼ分布しました。
長野県野尻湖のじりこ はナウマンゾウの化石が出土したことで有名です。

日本列島への大型動物の移動・分布

人類の進化

約650万年前(新生代第三紀)、人類が誕生がしました。
人類は、猿人・原人・旧人・新人の順に出現していきました。
現在日本列島で発見された更新世の化石人骨は、沖縄県の港川人みなとがわじん 山下町洞人やましたちょうどうじんや静岡県の浜北人などが挙げられます。
これらは、いずれも新人段階の人類です。
骨などの放射性元素炭素14の濃度で年代可能
兵庫県で発見された明石人は新人とする説が主流
上記の人骨の特徴を受け継ぎ、また、弥生時代以降の渡来人と混血を繰り返して「日本人」が形成されました。

人類の進化

旧石器時代

石器による時代区分

人類がまだ金属器を知らない時代は、石器時代と呼ばれます。
石器時代はさらに、打製石器を用いた旧石器時代と、磨製石器が出現した新石器時代に分けられます。
地質年代では、旧石器時代は主に更新世にあたります。
完新世(約1万年前~現在)になると新石器時代の幕開け

打製石器(左)・磨製石器(右)

アマチュアによる旧石器時代の発見

かつて、日本列島に旧石器時代の遺跡は存在しないと考えられました。
日本列島での人類の歴史は、縄文時代からとされていました。
1946年、相沢忠洋あいざわただひろ関東ローム層から石器を発見しました。
石器を発見した場所(群馬県岩宿いわじゅく 遺跡)の調査、そして各地での遺跡の調査が進み、これまでの常識を根底から覆しました。
関東ローム層
更新世の火山活動で、関東平野に積もった火山灰の地層

火山灰層の分布
批難に屈しない考古学への情熱―相沢忠洋
独学の末に石器を発見した相沢忠洋は、1949年に明治大学の学者たちと岩宿遺跡を調査、日本の旧石器時代の存在を証明しました。しかし、報告は大学の名義でなされ、相沢は調査の単なる付き添い役として、学界から存在を無視されました。加えて、功績をねたむ学者・地元住民から売名行為と批難を浴びました。
その後も相沢はアマチュアとして地道な調査活動を続け、多くの遺跡発見に貢献しました。やがて相沢への批難は消え、正当な評価がなされました。
下図は岩宿遺跡の相沢の像。常識を覆した石器を手に、じっと見つめています。

旧石器時代の生活

旧石器時代の人々は生活のなかで打製石器を用いました。
この石器には形状・用途別に、打製石斧せきふナイフ形石器尖頭器せんとうき 、そして組合せ式の細石器がありました。
細石器
木の柄や骨に数本埋め込んで組合せ、投げ槍などに使用。ロシアのバイカル湖周辺から伝播

ナイフ形石器

尖頭器

細石器
人々は上記の石器を使用し、動物の狩猟と、植物性食料の採取をおこなって食料を得ました。
旧石器時代での漁労の痕跡は未発見
狩猟・採取のために、人々は絶えず一定の範囲を移動しました。
従って、住まいには簡易なテント式の小屋や洞穴を利用、また、大型動物を捕らえるために10人程度の集団生活でした。