富国強兵と殖産興業(2)

概要
江戸時代の貨幣は、東日本で計数貨幣の金遣い、西日本で秤量貨幣の銀遣いと分かれ、統一的な価値尺度が生成されませんでした。明治時代、殖産興業の推進の前提として、これら貨幣の統一は不可欠の重要性をもちました。しかし、財源に乏しい新政府は、貨幣制度の改革を一挙に達成できず、失敗をしながら漸次進めることになりました。
表記について

貨幣制度の改革

不安定な不換紙幣

当初の新政府は、財源に乏しく、商人から臨時負担金である御用金を徴発しました。
1868年、由利ゆり公正きみまさの立案で最初の政府紙幣 太政官札だじょうかんさつ が、次いで1869年、民部省札みんぶしょうさつが発行されました。
太政官札・民部省札は、金銀との引換え(兌換だかん)ができない紙幣 不換ふかん紙幣 で、増刷のたびに人々からの信用を失い、価値が下落しました。
太政官札・民部省札
貨幣単位は、江戸時代と同じく「りょう しゅ」を使用

太政官札

民部省札

兌換紙幣(この図は金本位制)

不換紙幣

金本位制の確立推進と失敗

江戸時代、金貨は「金1両=4分」「1分=4朱」と、4で位が1つ進みました。
また、金貨・銀貨の交換は「金1両=銀50もんめ」と繁雑で、外国人から嫌がられました。
1871年、 新貨条例 
「1 円 =100 銭 」「1 銭 =10 厘 」と、10進法で位を進める新たな貨幣単位を設定し、「1両=1円」として旧単位を廃止
純金1.5gを含有する1円金貨を鋳造し、貨幣への信用を「金」の希少価値で支える 金本位 を採用

金本位(左:50銭銀貨/中:1円金貨/右:1厘銅貨)
しかし、新政府の純金の保有量は少なく、1円金貨の不足を1円銀貨の鋳造で補いました。
従って、貨幣への信用を「金」「銀」の希少価値で支える金銀複本位となりました。
加えて、人々は金貨の使用を惜しみ、貿易では銀貨、国内では紙幣が主に使用されました。

1円銀貨の鋳造

国立銀行の開業

兌換紙幣の発行

太政官札・民部省札は、旧単位で発行され、また、不換紙幣で信用を失いやすいものでした。
新単位で、金銀との引換え(兌換)ができる紙幣 兌換だかん 紙幣 の発行が必要となりました。
しかし、新政府の純金・純銀の保有量は少なく、仮に発行しても引換えができませんでした。

金準備の不足・銀準備の不足
1872年、 国立銀行条例 
不換紙幣の回収整理のために、 渋沢栄一しぶさわえいいち  が起草した条例
純金・純銀を保有する有力商人に、 国立銀行 を4こう 開業させて、兌換紙幣である兌換銀行券の発行と、兌換銀行券と金貨との引換えを義務化
渋沢栄一
 第一国立銀行 を創立し、その初代の代表者
国立銀行
「National Bank」の直訳で、「国法の国立銀行条例で立てられた民間銀行」の意
兌換銀行券の発行以外に、預金・貸付をおこなって利益を獲得
政府と組んで富を得た三井や岩崎(三菱)などの有力商人を 政商 と呼称

渋沢栄一

国立銀行条例(資本金:開業時の運営資金)

兌換銀行券(10円券)

兌換銀行券(10円券)の下の注意書き
*「この紙幣を持参の人へは何時たりとも10円相渡可申候也」と、兌換の旨を記載

兌換義務の廃止と紙幣価値の下落

次第に国立銀行の保有する金貨が底をつき、経営不振に陥りました。
1876年、 国立銀行条例 改正
国立銀行の「紙幣と金貨との引換え義務」を廃止
国立銀行に不換紙幣の発行を許可
国立銀行の自由な開業を許可
華族・士族が、金禄公債きんろくこうさい証書を元手に、国立銀行を次々と開業しました
これらの国立銀行が、不換紙幣の銀行券を発行し、紙幣の価値が下落しました。
1879年、153行目の国立銀行の開業で、開業許可打ち切り(行:銀行の単位)

銀行券の流通量