大衆文化の成立

表記について
概要
明治維新後、産業・科学技術・政治制度など公的性格の強い分野では、政府主導によって近代化(西洋化)が進められたが、各種文化は基本的に伝統の色を強く残していました。しかし、大正時代になると、日本人全般(大衆)の生活様式・行動様式はかなり大きく変化しました。

新中間層と大衆文化

教育と新中間層

次の2点を背景に、高学歴者の増加や女性の社会進出が始まりました。

小学校就学率

中等・高等教育機関の充実
都市部に、事務系職員の俸給生活者(サラリーマン)が現れました。
彼らは、中級程度の生活水準をもち、新中間層とも呼ばれました。

丸の内ビルディングとサラリーマン
タイピスト・電話交換手・バスの車掌などの仕事に就く女性も現れ、職業婦人 と呼ばれました。

女性の電話交換手

女性アナウンサー

大衆文化

国民全体の識字率向上や高学歴者の増加は、活字媒体の利用を促しました。
新聞・雑誌・ラジオ・映画などのマス=メディアが、新中間層・職業婦人を受け取り手として急速に発達しました。
これら一般勤労者(大衆)を担い手とする大衆文化が成立しました。

マス=メディア

新聞と雑誌

新聞

『東京日日新聞』などの新聞が、発行部数100万部を超えました。
東洋経済新報
記者石橋湛山いしばしたんざん が、小日本主義に立ち、植民地放棄と平和的な経済発展を訴えた新聞
小日本主義
国家拡大の方針に対し、植民地放棄などを主張する立場

新聞の普及

石橋湛山

雑誌

総合雑誌:『改造』『中央公論』など、様々な情報を掲載する雑誌
大衆雑誌:「日本一面白い!」と宣伝する『キング』など、娯楽的雑誌
児童雑誌:1918年、鈴木三重吉みえきちが創刊した『赤い鳥』など
週刊誌・女性雑誌:『サンデー毎日』『主婦之友』など
円本:『現代日本文学全集』など、1冊1円という安価で売られた本

『キング』
*「日本一面白い!日本一為になる!日本一の大部数!」と宣伝

『赤い鳥』

音声と映像

ラジオ放送

1925年、東京・名古屋・大阪の3放送局でラジオ放送が始まりました。
1926年、3局を統合して、日本放送協会(NHK)が設立されました。
ラジオ劇・スポーツの実況などが人気を博し、放送網が全国に広がりました。

ラジオ放送のポスター

映画

当初の映画は、無声映像を解説者の語りとともに楽しむもので、活動写真と呼ばれました。
大正時代、日活や松竹などの映画会社が国産映画の製作を始めました。
1930年代、有声映像の製作が始まり、トーキーと呼称

家庭用映写機

生活の変化

建物

都心:鉄筋コンクリート造のオフィスビル(丸の内ビルディングなど)
郊外:新中間層向けの和洋折衷の文化住宅
1924年設立の同潤会どうじゅんかいは、関東大震災で被災した地区に、木造住宅や鉄筋コンクリート造のアパートを建設

丸の内ビルディング

生活基盤

都市:水道・ガスの供給事業の本格化
農村:以前は都市部に限られた電灯の普及

交通

市電・バス・タクシーの発達、地下鉄の開業

服装

山高帽にステッキという姿のモダンボーイ(モボ)、断髪にスカートという姿のモダンガールモガ

モガ

食事

トンカツカレーライスなどの洋食

トンカツ

カレーライス

販売店

百貨店の発達、私鉄経営のターミナルデパートの登場
世界初のターミナルデパート―阪急百貨店
1929年、阪急電鉄社長の小林一三は、私鉄の発着駅にデパートを付属させた阪急百貨店を開業しました。地下2階、地上8階という、当時では群を抜いた規模の百貨店で、大衆に向けての夢の集大成として世界初の試みでした。小林は、1913年に組織し発展させた宝塚少女歌劇団なども経営しており、大衆の夢をふくらませ、そして確かな実りへと導きました。