概要
1991年の湾岸戦争後、海外派遣への強い反発を受けながらも、自衛隊がペルシア湾の機雷撤去に派遣されました。1992年の宮沢喜一内閣時にPKO協力法が制定され、自衛隊の海外派遣が法的に可能になりました。カンボジアでの初の国連平和維持活動以降も、自衛隊は活動参加を継続し、国際社会への人的な貢献をおこなっています。
表記について

国際貢献のあり方

湾岸戦争と海外派遣

第1・2海部俊樹内閣|1989年8月~1991年11月

1991年、湾岸戦争
1990年、イラクがクウェートに侵攻したことに、国際連合が武力制裁を決定
アメリカなどの多国籍軍が派遣され、イラクがクウェートから撤退
日本は国際貢献を求められ、多国籍軍への多額の資金援助を実施
too little too late―少なすぎる、遅すぎる
湾岸戦争時、アメリカからの国際貢献の要請に、日本は10億ドルの支援をおこない、以後外圧に押されて30億、90億ドルを供出しました。日本の対応は「血と汗のない貢献」「小切手外交」など、アメリカを中心とする西側諸国の批判の的となりました。これを背景に、湾岸戦争後は海上自衛隊がペルシア湾に派遣され、最も困難で過酷な一帯の機雷除去にあたりました。諸外国の軍隊が見守る中、そして国内からの派遣反対を受ける中、自衛隊は掃海任務を果たしました。この派遣は、以降の平和維持活動参加への歴史的転換になりました。

PKO協力法の成立と初のPKO参加

宮沢喜一内閣|1991年11月~1993年8月

1992年、 国連平和維持活動協力法  PKO協力法 )制定
国連の要請の基づいて自衛隊を海外派遣するための法律
1992年、自衛隊がカンボジアでの国連平和維持活動(PKO)に参加しました。
以降、自衛隊は海外派遣を継続しています。

カンボジアでの道路補修の協力

初の国連平和維持活動参加

小渕恵三内閣|1998年7月~2000年4月

1999年、 新ガイドライン関連法 制定
周辺事態安全確保などの3本の法律で、日本の安全に関わる事態の発生時、  日本がアメリカ軍を支援する仕組みを整理