メソポタミア文明

表記について
概要
洪水と異民族の侵入を頻繁に受けたメソポタミアでは、王国の興亡が繰り返し、複雑な歴史が展開した。メソポタミアで最初に活躍し始めたのは、謎の多いシュメール人である。シュメール人は、楔形文字や法律など優れた文明を創り上げた。この文明は他民族にも継承され、例えばアムル人の『ハンムラビ法典』が有名である。

古代オリエント

オリエントの風土

ヨーロッパから見た「太陽の昇るところ(東方)」、今日の中東にあたるエジプト・西アジアはオリエントと呼ばれます。
オリエントは気温が高く、砂漠・岩山の地域が多く広がります。
そのため、河川やオアシスで麦やナツメヤシを栽培します。
大河では早くから灌漑農業・定住化が進みました。
次の①②の地域の大河流域には、前3000年頃から高い文明が発達しました。
メソポタミア
「川の間の地域」の意

大河川

古代オリエントの人々と社会

①~③の地域の社会では治水の重要性が高く、神の権威で統治する神権政治政治が多く見られました。

古代オリエント
*塗り部分が肥沃な三日月地帯

メソポタミアの夜明け

シュメール人の登場

前3500年頃、メソポタミア南部で人口が増加し、大集落が成立しました。
文字が発明され、銅器・青銅器などの金属が普及しました。
前3000年頃、シュメール人の都市国家が多く形成されました。
代表的な都市国家は、ウル・ウルク・ラガシュでした。
各都市は互いに覇権を争いました。
シュメール人
系統不明の民族
各都市は城壁で囲まれ、中心部に祭壇の聖塔ジッグラトを設置

シュメール人

ジッグラト

シュメール人の文化

宗教:
多神教(自然神・各都市の守護神)
文字:
楔形文字
主に粘土板に記されたが、碑文に用いられた例もあり
19世紀、イギリス人ローリンソンがベヒストゥーン碑文をもとに解読
法律:
シュメール法
バビロン第1王朝が継承し、『ハンムラビ法典』に集成
学問:
60進法に基づく時間や方位の観念、太陰暦や閏年うるうどし占星術の発達
文学:
英雄叙事詩じょじしの『ギルガメシュ叙事詩』

楔形文字

粘土板に彫られた楔形文字

メソポタミアの統一

アッカド王国―最初の統一国家

前3000年頃、アラビア方面からセム語系のアッカド人人がメソポタミア中部に移動・定着しました。
前24世紀、王サルゴン1世がメソポタミアを統一しました。
他地域に遠征を繰り返しましたが、まもなく王国は滅びました。
前22世紀、シュメール人の国ウル第3王朝がメソポタミアを支配しました。

サルゴン1世

バビロン第1王朝の建国と滅亡

シリア方面から侵入したセム語系のアムル人が、前19世紀、古バビロニア王国(バビロン第1王朝)を建国しました。
前18世紀、ハンムラビ王の治世下でメソポタミアが統一されました。
ハンムラビ王は治水・灌漑を進め、また、かつてのシュメール法を集成して『ハンムラビ法典』を制定しました。
『ハンムラビ法典』は、「目には目を、歯には歯を」という復讐法の原則や、身分による刑罰差の原則を特徴とします。
ハンムラビ法典
楔形文字で記録された石碑が、ペルシアの古都スサで発見
上部に王が正義の神シャマシュから法典を授かる場面の浮き彫りがあり

ハンムラビ法典

ハンムラビ法典の上部
*ハンムラビ王(左)・シャマシュ(右)
17世紀、インド=ヨーロッパ語族のヒッタイト人は、アナトリア半島(小アジア)に王国を建国しました。
メソポタミアに遠征して古バビロニア王国を滅ぼしました。
ヒッタイト人
世界で最初に鉄製武器を実用化し、戦車・馬による優れた軍事力を保有

バビロン第1王朝滅亡のメソポタミア

南部はイラン方面から侵入した系統不明のカッシート人の王国に、北部は前16世紀からミタンニ王国に支配されました。

年表