概要
エジプトでは、メソポタミアとともに最も古く、高度な文明が起こりました。ギリシアのヘロドトスの「エジプトはナイルのたまもの」という言葉通り、ナイル川の増減水を利用した豊かな農業が背景に挙げられます。また、同地域が地形の利を得て、周辺民族の侵入や外国の支配をうけにくかったことも背景と考えられます。
エジプトの起こりと文化
統一国家の登場
エジプトは、ナイル川の水量の増減で1年が3つの季節に分けられます。
ナイル川の氾濫がもたらす肥沃土を農業に利用して、エジプト文明は発達しました。
ギリシアのヘロドトスは、「エジプトはナイルのたまもの」と評しました。
ヘロドトス
前5世紀の歴史家で、ペルシア戦争を描いた『歴史』を著述
ナイル川
水位を計測するナイロメーター
古くからエジプト人は、ナイル川流域にノモスという集落を形成しました。
ノモスは治水・灌漑の指導者を必要とし、他のノモスとの統合を繰り返しました。
前3000年頃、王(称号:ファラオ)による統一国家がつくられました。
前3世紀まで約30の王朝が交替しましたが、特に繁栄した時期は次の3区分です。
- 古王国
前27~前22世紀の第3~6王朝
- 中王国
前21~前18世紀の第11~12王朝
- 新王国
前1567~前1085年の第18~20王朝
エジプトの文化
ファラオ
神の子と考えられ、専制的な神権政治を実施
宗教
次の神々が存在する多神教
ラー
オシリス
文字
- 碑文・墓室・石棺に刻む神聖文字(ヒエログリフ)
- 宗教書・行政文書に用いる神聖文字の簡易文字神官文字(ヒエラティック)
- 民衆文字(デモティック)
神聖文字・民衆文字・ギリシア文字を刻んだ碑文ロゼッタ=ストーンが、ナポレオン軍に発見され、フランス人シャンポリオンが神聖文字を解読
ヒエログリフ
学問
10進法や、ナイルの氾濫に対応するために太陽暦・測地術の発達
死生観
霊魂の不滅と死後の世界を信じてミイラを作り、パピルスに神聖文字で書いた「死者の書」とともに埋葬
「死者の書」
ピラミッド
エジプトの王墓の一種で、古王国時代が最盛期
太陽暦
のちにローマで採用されてユリウス暦として利用
カミガヤツリ
*パピルスの原料
王国の発展と終焉
各王国の出来事
ナイル川と都
古王国|前27~前22世紀
首都:ナイル下流域のメンフィス
王クフの墓であるギザのピラミッドが築造されました。
ギザのピラミッド
中王国|前21~前18世紀
首都:ナイル中流域の
前18世紀末期、シリアから遊牧民ヒクソスが侵入しました。
ヒクソス
民族名ではなく、「異邦人の支配者」という意味
ヒクソス
新王国|前16~前11世紀
首都:テーベ、前14世紀からアケトアトン()
前16世紀、ヒクソスを追放してシリアへ進出しました。
前14世紀、王アメンホテプ4世が都をテル=エル=アマルナに移動し、多神教を禁じて1つの神アトンだけの信仰を強制しました。
アメンホテプ4世は自身をアトンに有益なる者「イクナートン」と改称しました。
アトン信仰はアメンホテプ4世の死で終わりましたが、写実的なアマルナ美術を生んだ。
アメンホテプ4世
*右上がアトン
前13世紀の王ラムセス2世の時、エジプトの領土は最大になりました。
またラムセス2世は、ヒッタイトとシリアのカデシュで戦いました。
その後
前7世紀、アッシリア王国に征服され、次いで前525年、アケメネス朝ペルシアに征服されました。
年表