概要
6世紀中頃に仏教が公伝し、蘇我氏を中心に受容されました。6世紀末に蘇我氏が物部氏を滅ぼすと、蘇我馬子・厩戸王の手で受容はさらに加速しました。やがて7世紀前半には仏教の影響を受けた「飛鳥文化」が形成されました。この文化には西アジア・インド・ギリシア文化との共通も見られ、仏教以外の大きな特徴と言えます。
加速する仏教受容
仏教の成立と公伝
古代インド人は、死後に別の生をうける過程が繰り返されると信じました。
釈迦は、この過程の繰り返し(輪廻転生
)を抜けなければ、生きる上での人の苦しみが永遠に続くと考えました。
修行の果てに悟りに至り、輪廻転生から抜けだしました(解脱)。
悟りに至った者は、如来(仏)と呼称
悟りに至った者(如来)の、修行中の姿は菩薩と呼称
輪廻転生
菩薩・如来の区別
釈迦の教えはいくつかの経典にまとめられ、仏教が成立しました。
各地に伝播する中で、釈迦以外の如来・菩薩が増加し、また、宗教の目的も追加されていきました(例:現世利益の追求)。
538(552)年、ヤマト政権に仏教が公伝しました。
仏と古来からの神は、あまり区別されず、仏は他国の神(蕃神)として扱われました。
ただし、仏は恵み(現世利益)を与える存在と区別しました。
神は本来人々を苦しめる存在
神と仏
仏を神と扱う発言
寺院―古墳にかわる権威の象徴
豪族は祖先供養のための寺院(氏寺)を建立した。
伽藍配置
*寺院の堂塔の配置
飛鳥寺復元図
仏具と仏教絵画
中宮寺
天寿国繡帳
仏の世界(極楽浄土)と厩戸王の往生の様子を描く刺繡
往生…独力での解脱は常人には難しいため、仏の直接指導を希求して、死後に仏の世界へ往くこと
玉虫厨子
天寿国繡帳
仏像の2つの様式と共通点
北魏様式
鞍作止利(止利仏師)一派の作品
特徴は左右対称の幾何学的な衣文
代表的仏像
飛鳥寺釈迦如来像
法隆寺金堂釈迦三尊像
法隆寺夢殿救世観音像
釈迦如来像
釈迦三尊像
救世観音像
百済・南朝様式
鞍作鳥一派以外の作品
特徴は変化する衣文で、自然な姿を表現
代表的仏像
法隆寺百済観音像
中宮寺半跏思惟像
広隆寺半跏思惟像
百済観音像
中宮寺半跏思惟像
広隆寺半跏思惟像
共通点
ギリシア彫刻の表現「アルカイック・スマイル(古拙の微笑)」が飛鳥文化の仏像のどちらの様式にも散見されます。
ギリシャ彫刻
経典研究
三経義疏
3つの経典(法華経・維摩経・勝鬘経)に対する厩戸王(?)の注釈書の総称
仏教以外の様相
散見するギリシア文化
シルク=ロード経由で、西の文化が伝来しました。
柱の中央に膨らみをもたせるエンタシスや、壁に描く茎・蔓の文様の忍冬唐草文様です。
パルテノン神殿の柱(左)・法隆寺の柱(右)
忍唐唐草文様
様々な技術の伝来