化政文化―文芸と美術

表記について
概要
化政文化の小説には多くの作品形態があり、その区別はいかにも繁雑です。これは、作者が時の流行・制約を考慮しながら形態を変え、同時にその特徴を充分に活用して独自の文学を創った証拠です。また絵画は、江戸時代後期の退廃的印象とは全くの無縁で、清新な美的活動がありました。これら絵画は後に西洋を魅了しました。

文学

小説

19世紀初め、小説は次の4様式に分かれていました。
天保の改革で、人情本の代表的作家為永春水ためながしゅんすいや合巻の代表的作家柳亭種彦りゅうていたねひこが処罰されました。

文学の展開

滑稽本

式亭三馬
代表作は湯屋ゆやを舞台にした『浮世風呂
十返舎一九じっぺんしゃいっく
代表作は江戸っ子2人の旅行記『東海道中膝栗毛

『浮世風呂』

式亭三馬

『東海道中膝栗毛』

人情本

為永春水
代表作は女性の愛欲生活を描く『春色しゅんしょく梅児誉美 うめごよみ

読本

上田秋成
代表作は怪談『雨月物語
曲亭馬琴
代表作は里見家再興の伝奇『南総里見八犬伝

『南総里見八犬伝』

合巻

柳亭種彦
代表作は室町時代の大奥を描く『偐紫田舎源氏にせむらさきいなかげんじ

俳諧

信濃の百姓小林一茶いっさ が村々に生きる人々の生活などを詠みました。
代表作として、1年間の雑感をまとめた俳書『おらが春』が有名です。

小林一茶

和歌と狂歌

香川景樹が起こした古今調の優雅で平明な歌風の桂園派は、あまり浸透しませんでした。
その他、越後の禅僧良寛が生活歌を詠み、わずかに活躍しただけであった。
和歌よりも、滑稽味を取り入れた短歌狂歌が盛んに詠まれました。
大田南畝なんぽ (蜀山人)は、滑稽味のなかに風刺も込めた狂歌を詠みました。

その他

鈴木牧之ぼくしが、雪国の自然や生活を紹介する『北越雪譜ほくえつせっぷ』を著しました。

『北越雪譜』

美術

浮世絵

18世紀末~19世紀初め、各地に名所が生まれ、人々の旅行が一般化しました。
多色刷たしょくずり浮世絵版画錦絵の風景画が流行しました。

代表的な浮世絵師と浮世絵

葛飾北斎かつしかほくさい
代表作は東海道と甲州から富士山を眺めた『富嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい
歌川広重
代表作は東海道の宿場町の風景・風俗を描く『東海道五十三次
歌川国芳くによし
代表作は、浅草の張りぼて人形を描く『朝比奈あさひな小人こびとしま あそび

『富嶽三十六景』

『東海道五十三次』の「御油」
*左は、旅人を強引に泊める旅籠の女性「留女」

『朝比奈小人嶋遊』

写生画

呉春ごしゅん(松村月渓げっけい)は、文人画の長所を円山まるやま 派に加味して、日本趣味豊かで写実性に富む四条派を開きました。
代表作として、『柳鷺りゅうろ群禽ぐんきん図屏風』が有名です。

『柳鷺群禽図屛風』

文人画

豊後ぶんご田能村竹田たのむらちくでん、江戸の文晁 ぶんちょう 、女性江馬細香さいかが文人画家として活躍しました。
谷文晁の門人渡辺崋山の活躍で文人画は全盛期を迎えました。
渡辺崋山の代表作として、『たか泉石せんせき像』が有名です。

『鷹見泉石像』
ジャポニスム―歌川広重とゴッホ
19世紀後半、フランスを中心に日本美術に対する関心が高まっていました。これをジャポニスムと言います。1886年、パリに出たオランダ人画家ゴッホも、印象派の明るい色彩に出会うとともに、浮世絵に強く惹かれ、模写を試みました。油彩によって実践された右図の模写は、原画より一層明るさと光沢を増しています。四周に様々な浮世絵から切り取った漢字を書き加えることで、装飾性も加えています。