概要
近世社会の進展で生活の余裕が増大するに従って、遊び=娯楽に対する意欲と接触機会とが高まりました。この傾向は、祭礼に歌舞伎の芝居を上演するなど、年中行事という固定的な習俗にまで変化を及ぼしました。また、庶民の旅行も盛んになりました。異郷に赴く旅行は、日常に活力を与えるものであり、一種の通過儀礼でもありました。
庶民の娯楽
多種多様な興行と芸能
都市の空地には歌舞伎の芝居
小屋が立ち、落語などの舞台寄席も多く開かれました。
この他、話芸・曲芸などの興行(見世物)が見世物小屋や野外で見られました。
ラクダの見世物
歌舞伎
歌舞伎では、人気役者とともに次の作者が活躍しました。
これら歌舞伎は、錦絵や出版物などで全国各地に伝えられました。
村の若者が中心となって演じた歌舞伎「村芝居」が、神社の境内で開かれました。
村芝居を通して、歌舞伎の衣服・化粧・道具・言葉遣いが村に伝わりました。
信仰と結びつく娯楽
寺社の催し
寺社は、修繕費や経営費を得るために、次の催しをおこないました。
- 縁日
特定の神仏の縁とそのご利益にあずかれる日
- 開帳
寺社の秘仏・秘宝を一定期間公開すること
- 富突
主催者が札を販売し、後日抽選して賞金を支払うもの
縁日
開帳
富突
旅行
盛んになった旅行には、湯治や物見遊山
のほか、信仰と結びつくものがありました。
例えば、伊勢神宮・金比羅宮などへの寺社参詣、聖地・霊場への巡礼がありました。
伊勢神宮への集団参詣を御蔭
参りと呼称
御蔭参り
三河の国学者菅江真澄
は、40年にわたって東北各地を旅しました。
その見聞を著した『菅江真澄遊覧記』は、民俗学において貴重な資料です。
行事・集まり
五節句・彼岸会・盂蘭盆会などの行事と、次のような庶民の集まりがありました。
- 日待
前夜から心身を清めて寝ずに神仏を拝み、飲食をともにして日の出を待つ集まり
- 月待
十三夜・十五夜など特定の月齢日に、飲食をともにして月の出を待つ集まり
- 庚申講
十干十二支で庚申に当たる日の夜、人間の体内にいる三尸虫
が、人間が寝ている間に抜け出して天帝に罪悪を報告するので、その夜は仲間と徹夜するという集まり
庚申塔(塚)
三尸虫を押さえ込むと信じられた青面(しょうめん)金剛などが彫られた石造物
庚申塔(塚)