概要
東方に自閉していた小国「日本」は、2度の戦争に打ち勝ち、列強の仲間入りと資本主義の工業国に姿を変えました。このような日本の変化をもたらした西洋文明の移植は、同時に新旧・和洋の多様な諸規範が噴出させました。諸規範は相矛盾する危うさを抱えていましたが、対外的な不安にひとまず覆い隠され、十分に露呈しませんでした。
表記について

文化の特色

文化の担い手の変化

明治時代初め、新政府は強大な欧米列強への対抗を急ぎました。
新政府が先頭に立ち、富国強兵・殖産興業・文明開化などの標語を掲げ、西洋文明の移植による急速な発展を進めました。
明治時代中頃、教育の普及や通信・出版の発達で、国民自身の手による文化の発展を見せ始めました。

文化の二元性

人々の精神の変化は緩やかで、また、農村の発展は都市よりも遅れました。
そのため、明治時代の文化は、新旧・和洋の文化が混在・併存しました。

明治時代の文化

思想と信教

思想

国民の権利と国家の権力

明治時代初めの西洋思想の流入は、国民の権利・自由が保障されて、初めて国家の権力が強化されるという民権論を形成しました。
朝鮮半島で1882年に壬午軍乱、1884年に甲申事変が起きました。
これらの事件は、国家の権力の強化・拡張が実現すれば、国民の権利・自由が保たれるという国権論を形成しました。

民権論と国権論

西洋文化と日本文化

条約改正を目的に、1882年から外相井上かおる欧化政策が始まり、また、欧化政策を肯定する思想欧化主義も生じました。
鹿鳴館外交に代表される極端で上からの欧化政策は、激しい反発を招きました。

鹿鳴館外交
上からの欧化政策に対する反発から、民権論に立つ次の思想が形成され、また、互いに対立しました。
平民平民的欧化)主義
一般国民(平民)の手による欧化の推進を目指す思想
徳富蘇峰とくとみそほう民友社を設立し、機関誌『国民之友』で提唱
Ⓑ近代的民族主義
西洋の模倣ではなく、日本の固有性に根差した発展を目指す思想の総称

欧化主義と反発

徳富蘇峰

近代的民族主義

次の思想が、近代的民族主義と総称されました。

陸羯南

日清戦争後の思想転換

高山樗牛ちょぎゅうは、雑誌『太陽』で、日本建国の精神の発揮と日本の大陸進出を目指す思想日本主義を唱えました。

高山樗牛
日清戦争後、徳富蘇峰や陸羯南は国権論に傾き、日本の対外進出を肯定しました。
個人の利益よりも国家の利益を優先する思想国家主義が、思想界の主流となりました。

達成感と燃え尽き

日露戦争の勝利は、人々に大きな達成感を与えた反面、国家主義への疑問も抱かせました。
1908年、政府は、勤倹節約と皇室尊重を国民に求める戊申詔書を発し、列強の一員としての日本を支える国民の道徳強化に努めました。

信教

神道

明治時代初め、新政府は神道の国教化を試みましたが、十分な成果をあげられませんでした。
一方、政府の公認を受けた民間の神道教派神道は、庶民の間にかなり広まりました。

仏教

1868年、神仏分離令制定
神道の国教化を前提として、神道の純化のために神仏習合を禁じた法令
堕落した僧侶への怒りから、仏教を排斥する行動廃仏毀釈はいぶつきしゃく が全国で発生
仏教の勢力は廃仏毀釈で弱まりましたが、島地黙雷しまじもくらい のように信教の自由を説く者の活躍で、次第に勢力を回復していきました。

島地黙雷

キリスト教

次の外国人教師、所謂いわゆるお雇い外国人の影響で、キリスト教が知識人に広まりました。
日本人の信徒のなかからは、札幌農学校で学んだ内村鑑三・新渡戸稲造や、熊本バンドに参加した海老名弾正が現れ、人々の心をとらえました。
キリスト教会は、売春廃止に取り組む運動廃娼はいしょう運動をおこないました。

ヘボン

クラーク