概要
律令国家は、律令を国家の基本法として形づくられた国家です。いうまでもなく、律令は中国で発達した法体系で、日本はそれを継受しました。大化改新で整えられた中央・地方の組織は、律令で再編されてその姿を大きく変えました。また、官吏(役人)の位階・官職は細かく分けられ、貴族(位階が5位以上の者)も登場しました。
律令国家の様相―文武天皇の代
律令国家の成立
663年、ヤマト政権は白村江の戦いで大敗しました。
これを受け、対外防衛とともに、支配体制の再編強化を急ぎました。
唐の律令に倣い、法体系を整えていきました。
天智天皇の御代668年、近江令編纂
持統天皇の御代689年、飛鳥浄御原令
施行
律よりも組織・税制に関する令を優先
701年、総裁刑部親王
・中臣鎌足の子藤原不比等らが、大宝律令を編纂しました。
律と令がそろい、国家の骨組みができあがりました。
藤原不比等(659~720年)
中臣鎌足が「藤原」の氏を賜与されると、子の不比等も藤原氏を使用しました。律令編纂で頭角を現し、後に養老律令の編纂も手がけました。『竹取物語』に不比等をモデルとする「車持
皇子」が登場します。
律令による組織再編
中央の組織
諸国の組織
〔〕内は行政区画
重要地域の組織
行政区画(国郡里)
中央から国司が国ごとに派遣され、国府を拠点に国を管理しました。
各国の下には郡が置かれ、在地の元国造の層が郡司に任じられ、郡家を拠点に郡を管理しました。
郡の下には里(後に郷と改称)が置かれ、里長が管理した。
中央から派遣される国司
広域の行政区画(畿内七道)
京の周辺5カ国は
畿内、それ以外の国は
七道にまとめられました。
七道
行政区画の名称であるとともに、中央と地方を結ぶ幹線道路の名称
畿内
七道
位階と官職
大宝律令により、一位からはじまる計30の位階が設けられた。
位階の設定は603年の冠位十二階制定から
貴族(五位以上の者)には、俸禄の支給や税の免除の他に、その位階に応じて子孫に一定の位階が与えられる特権蔭位の制がありました。
五位以上なら子に、三位以上なら孫にまで一定の位階が与えられました。
これら位階で任命する官職を定めた官位相当制も設けられました。
四等官制
同じ官職(国司など)でも4段階の上下階級を設定
例えば国司なら、上から「守・介・掾
・目」の4階級
官位相当制
司法制度
五刑(笞・杖・徒・流
・死)という刑罰と、八虐(謀反・悪逆など)という8つの重罪が定められました。
貴族には、軽い罪であれば免職・代償で済む特権がありましたが、国家や天皇に対する犯罪の八虐は貴族といえども減刑を許されませんでした。