概要
7世紀中頃から8世紀初頭(平城京遷都)までの文化を白鳳文化と呼びます。飛鳥文化と同様に仏教がその中軸を占め、高句麗・インドの影響も見られますが、唐文化の影響や地方豪族の仏教受容という点で異なります。また、文章・和歌での万葉仮名使用もこの文化期に成立したと考えられ、結果、記録された和歌を知ることができます。
美術作品
寺院の創建と移建
大官大寺
藤原京に造られた寺院で、後に平城京へ移築、大安寺と改称
「官立の大寺院」の意
薬師寺
藤原京に造られた官立の寺院で、後に平城京へ移築
「凍れる音楽」薬師寺東塔、塔上の水煙
仏像
法隆寺阿弥陀三尊像
法隆寺夢違観音像
薬師寺金堂薬師三尊像
薬師寺東院堂聖観音像
興福寺仏頭
仏頭
蘇我倉山田石川麻呂創建の
山田寺の本尊の頭部で
、天武天皇が彼の冥福を祈るために造像
法隆寺阿弥陀三尊像
法隆寺夢違観音像
薬師寺三尊像
薬師寺聖観音像
興福寺仏頭
絵画
法隆寺金堂壁画
インドの壁画に類似
1949年の焼失を契機に、文化財保護法を制定
法隆寺金堂壁画
アジャンター石窟群(インド)
高松塚古墳
和歌と天皇
万葉仮名
漢字が普及に伴って、日本列島独自の言葉を、漢字のもつ意味に関係なく、その音で表記するようになりました。
表記した文字を万葉仮名と言います。
万葉仮名で文章・和歌なども記録されるようになりました。
万葉仮名の成立時期は不明(文章には7世紀中頃から!?)
5世紀の鉄剣(稲荷山古墳出土)にも万葉仮名による人名表記が見られるが、文章での万葉仮名の使用は未成立
万葉仮名「皮留久佐乃皮斯米之刀斯」
(はるくさのはじめのとし)
和歌
7世紀中頃には、万葉仮名で和歌が表記されはじめました。
和歌自体の起源を求めることは困難
額田王
…熱田津
に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(『万葉集』)
額田王
7世紀後半の歌人で、天武天皇の后。百済再興支援の途上、伊予国の熱田津で船出を待つ歌が有名です。出自・交友関係ともに不詳なことが多くあります。
天皇の神格化
武力での即位や中央集権化の取り組みで、天武天皇の地位の絶対化や神格化が生じました。
天武の神格化は、当時の和歌にも見えます。
柿本人麻呂
大君は神にしませば天雲の雷の上にいほらせるかも(『万葉集』)
大伴御行
大君は神にしませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ(『万葉集』)
作者未詳
大君は神にしませば
水鳥のすだく水沼を都と成しつ(『万葉集』)
柿本人麻呂
7世紀後半の歌人で、持統天皇・文武天皇に仕えました。地位は低かったのですが、宮廷歌人として活躍。後世、「歌聖」と仰がれました。
加えて、天武は皇祖神(天照大神)が神の頂点であることや、天皇との繋がりを国史で物語ろうと国史編纂事業を始めたとも思われます。
奈良時代に『古事記』『日本書紀』として完成しました。
天武が伊勢神宮での皇祖神の祭祀を開始!?
天武天皇