概要
第一次世界大戦前後の日本の急速な発展は、マス=メディアの発達をもたらし、国内の問題を顕在化させました。また、大戦の結果として起こったロシア革命は、日本にも強い影響を与えました。こうした状況を背景として、「革命」「解放」「改造」をスローガンに、古い日本を根本的に変革していく必要があるという考えが広がりました。
社会運動
様々な運動
第一次世界大戦による産業発展・物価上昇・労働者数増加、そして、ロシア革命をうけ、日本では次の3つの動きが活発化しました。
- 待遇改善を求める運動
労働争議
労働者の権利拡張(賃金引上げなど)を求める運動
- 社会主義運動(①に思想的な影響)
- 対等な関係を求める運動(身分差別解消・女性軽視打破)
労働争議・小作争議の件数
待遇改善の希求
労働争議
1912年、労働団体友愛会が鈴木文治によって組織されました。
1919年、友愛会は大日本労働総同盟友愛会と改称し、1920年には、権利要求の祭典として第1回メーデーを主催しました。
1921年、大日本労働総同盟友愛会はさらに日本労働総同盟と改称し、雇い主との協力関係の模索を止め、敵視し対立する路線に進みました。
鈴木文治
小作争議
1922年、小作人の全国組織日本農民組合が、杉山元治郎・賀川豊彦らによって組織されました。
知識人の接近と啓蒙
1918年、民本主義を唱えた吉野作造は、黎明会を組織し、民本主義の啓蒙に努めました。
黎明会の影響を受けた学生らは、東京新人会などを組織し、労働者への社会主義思想の啓蒙に努めました。
吉野作造
東京新人会
*右下が吉野作造
社会主義運動の再開
社会主義と関連思想
社会主義
計画的な生産と富の均等配分で、貧富の格差消滅を目指す思想
共産主義
社会主義を一層進め、消費さえも均等にしようとする思想
無政府主義
国家の政治権力を一切否定し、個人の完全な自由を目指す思想
社会主義と関連思想
「冬の時代」の終わり
社会主義運動は、1910年の大逆事件
で大弾圧を受けて以降、「冬の時代」と呼ばれる不振期に入っていました。
争議・社会運動の勢いが高まる中、社会主義者たちは活動を再開しました。
社会主義者の活動や社会主義の学問的研究は、政府から制限を受けました。
- 1920年、日本社会主義同盟が組織されたが、翌年に禁止
- 東京帝国大学助教授森戸辰男
が、無政府主義の理論家クロポトキンの研究をとがめられて休職処分(森戸事件)
森戸辰男
社会主義勢力内部では、大杉栄ら無政府主義者と、堺利彦らの共産主義者が対立していました。
ロシア革命の影響で、共産主義の影響力が増大しました。
1922年、日本共産党が堺利彦・山川均らによって非合法に組織されました。
大杉栄
堺利彦
女性社会主義者の活動
1921年、女性社会主義者の団体赤瀾会
が、山川菊栄・伊藤野枝によって組織されました。
赤瀾会
「赤瀾」は赤い波を意味し、また、赤は社会主義を指す色
赤瀾会
*左から山川菊栄・伊藤野枝
対等な関係の希求
身分差別の打破
被差別民は、1871年の解放令で平民となったが、世間から差別され続けました。
1922年、解放団体全国水平社
が西光万吉
らによって組織されました。
西光万吉
「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」と結ぶ創立宣言文の起草者
全国水平社の旗
女性軽視の打破
1911年、文学団体青鞜社が、平塚らいてうらによって組織されました。
女性の地位を低く見る風潮の中、平塚らいてうはその打破を目指す運動を始めました。
青鞜社
「青鞜」は、イギリスの教養ある女性団体「ブルーストッキング」に由来
平塚らいてう
青鞜社の機関誌『青鞜』で、「元始、女性は実に太陽であった」と宣言
『青鞜』
平塚らいてう
1920年、新婦人協会が、平塚らいてう・市川房枝らによって組織されました。
市川房枝は、女性の政治集会参加を主張し、女性の地位を高める運動を進めました。
市川房枝
1922年、
治安警察法改正
1900年に第2次山県有朋
内閣が公布した同法5条を改正し、女性の政治集会参加を容認
1924年、新婦人協会は婦人参政権獲得期成同盟会に発展し、女性の参政権を要求しました。