大東亜戦争

表記について
概要
1941年、日米衝突の回避のために、日米交渉が開始された。しかし、交渉は妥協点を得られないまま平行線を辿りました。以後も交渉は続きましたが、同年11月26日のハル=ノートは、日本に交渉の成功の可能性がないことを確信させ、12月1日の御前会議で遂に対米開戦が決まりました。そして12月8日、「大東亜戦争」が始まりました。

開戦回避の模索

日米交渉の開始

第2次近衛文麿内閣|1940年7月~1941年7月

1940年の日独伊三国同盟調印は、アメリカの対日姿勢をより硬化させました。
第2次近衛文麿このえふみまろ 内閣は、日米衝突の回避に、次の2策を講じました。

野村吉三郎

ハル

日ソ中立条約
*左:スターリン/右:松岡洋右
1941年6月、ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻し、独ソ戦争が始まり、日ソ中立条約調印の狙いは外れました。
1941年7月2日、天皇臨席の下の最高会議である御前会議が開かれ、南進政策の継続と対ソ戦の準備(北進)が決定しました。
近衛文麿内閣は、この決定の遂行と並行して日米交渉を図り、対米強硬を主張する外相松岡洋右ようすけを除くためにいったん総辞職しました。
北進
関東軍特種演習関特演)という名目で、満州に兵力結集

御前会議

苛烈な対日経済封鎖

第3次近衛文麿内閣|1941年7月~1941年10月

総辞職後、第3次近衛文麿内閣が、すぐに組織しなおされました。
1941年7月、日本軍の南部仏印ふついん 進駐が実行されました。
米は、在米日本資産の凍結対日石油輸出の禁止を実行しました。
日本の石油備蓄は2年で尽きるため、開戦に消極的であった海軍内部でも、即時開戦と南方の石油資源確保が主張され始めました。
在米日本資産の凍結
米国内にある日本人の土地・家屋・金銭などを管理

仏領インドシナ
米が、日本の南進阻止の意志を示すと、イギリス・オランダも同調しました。
軍部は、4ヵ国の対日経済封鎖「ABCD包囲陣」の圧迫を、戦争で跳ね返すしかないと主張しました。
ABCD包囲陣
A=America、B=Britain、C=China、D=Dutch

ABCD包囲陣

対米戦の開戦

9月6日の御前会議決定

第3次近衛文麿内閣|1941年7月~1941年10月

1941年9月6日、天皇臨席の下の最高会議である御前会議が開かれました。
帝国国策遂行要領が作成され、日米交渉の期限を10月上旬とすること、交渉失敗時に対米(およびイギリス・オランダ)開戦に踏み切ることが決まりました。
日米交渉は、米が日本軍の中国からの全面撤退などを要求したため、妥協点を見い出せないまま10月半ばを迎えました。
妥協を主張する近衛文麿首相と、開戦を主張する陸相東条英機ひできが対立し、1941年10月、近衛内閣は総辞職した。

東条英機

交渉の決裂と開戦

東条英機内閣|1941年10月~1944年7月

内大臣木戸幸一きどこういちは、9月6日の御前会議決定を白紙に戻すこと、つまり日米交渉の継続を条件として、東条英機ひできを首相に推挙しました。
首相が陸相・内相を兼任する形で、東条英機が内閣を組織しました。
最後の元老である西園寺公望の死後、首相選定は木戸孝允たかよしの孫の幸一を中心に、首相経験者で構成される重臣会議の合議で決定

東条英機内閣
1941年11月26日、米からの交渉文書(通称:ハル=ノート)が、日本に提示されました。
ハル=ノートは、中国・仏印からの全面的無条件撤退、満州国・汪兆銘おうちょうめい 政権の否認など、日本に満州事変以前の状態への復帰を要求する厳しい内容でした。
ハル=ノートは、これまでの妥協案を全く認めず、日本に交渉失敗を確信させました。
1941年12月1日、天皇臨席の下の最高会議である御前会議が開かれ、日米交渉の失敗の判断と米・英への開戦が決まりました。
1941年12月8日、日本陸軍が英領マレー半島に奇襲上陸し、日本海軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃して、日本は米・英に宣戦布告しました。
日本は、日中戦争を含めた戦争の呼称を「大東亜戦争」と決めました。
大東亜戦争
欧米からのアジア解放と、アジア一体でのブロック経済を目指す戦争
戦後、呼称を「太平洋戦争」に変更

マレー半島上陸

真珠湾攻撃
*轟沈する戦艦アリゾナ
日本史上初めての「戦争」の使用―大東亜戦争
日本の敗戦後、GHQは「大東亜戦争」の呼称が軍事肯定に繋がるとして使用を禁じました。しかし、日本が「戦争」という呼称を公で用いたのは、実は「大東亜戦争」が初めてでありました。当時の人々は意識して「戦争」を用い、また、先の戦争の肯定・否定は別として、先人たちは命を賭して「大東亜戦争」を戦いました。歴史とは、当時の人々の考えを軽視すべきものではありません。GHQによる禁止が失効した今、先の戦いを何と称しますか。

呉の海軍墓地の碑