占領政策の開始

表記について
概要
ポツダム宣言受諾後、連合国による日本の占領が始まりました。ただし、占領政策の立案・実施は、日本の降伏に決定打を与えたアメリカが主導しました。当初の占領政策の目標は、非軍事化・民主化を通じて日本を改造し、アメリカや東アジアにとって日本が再び脅威となるのを防ぐことに置かれました。

戦後の国際政治

新たな国際平和機関

1920年成立の国際平和機関である国際連盟は、大戦の再発を防げませんでした。
太平洋戦争中から、連合国は、アメリカを加えた新たな国際平和機関を構想しました。
1945年、国際連合成立
国際連盟に代わって成立した国際平和機関
内部組織安全保障理事会は、常任理事国に米・英・仏・ソ・中を据え、平和の破壊に対して、軍事行動の実施も含む制裁処置などを討議・決議
国際連合
英語名「United Nations」は、その成立背景から「連合国」とも和訳
国際連合(1945年~)
旗の図柄は、北極を中心として描かれた南緯60°までの正距方位図法の世界地図と平和の象徴「オリーブの葉」です。

2大陣営

国際連合の成立の一方、大戦を通して西欧諸国が衰退していき、アメリカとソ連が、世界に圧倒的な影響力をもつようになりました。
アメリカ中心の自由主義陣営とソ連中心の社会主義陣営が、対立し始めました。

米ソの対立
*米国旗は48星旗

占領の開始

連合国の日本管理機構

ポツダム宣言受諾後、日本の植民地であった台湾は中国(国民政府)に返還され、また、日本の次の地域は米・ソの軍政下に置かれました。

日本の領土縮小
日本の残された領土は、連合国によって占領されることになりました。
マッカーサーを最高司令官とする 連合国軍最高司令官総司令部が、日本政府に指令・勧告を出して政治をおこなう間接 統治でした。
指令・勧告は、法令の制定を待たず、ポツダム勅令によって実施されました。
連合国軍最高司令官総司令部
英語略名は「GHQ/SCAP」
間接統治
日本の降伏が、米国の予想より早く、連合国側の占領準備が不十分のため
日本と同じ敗戦国のドイツは、米・英・仏・ソによる分割統治

マッカーサー
*厚木に降り立った時

厚木航空基地のマッカーサー像
連合国は、対日占領政策の最高決定機関極東委員会をワシントンに置き、最高司令官の諮問機関対日理事会を東京に置きました。
しかし、実際の占領政策の立案・実施は、日本の降伏に決定打を与えたアメリカ主導でおこなわれ、事実上アメリカ軍の単独占領でした。

連合国の日本管理機構

占領政策の受入れと葛藤

GHQによる占領政策は、当初日本の非軍事化・民主化を目標としました。

東久邇宮稔彦内閣|1945年8月~1945年10月

ポツダム宣言受諾とともに、鈴木貫太郎かんたろう 内閣は総辞職しました。
皇族の東久邇宮稔彦ひがしくにのみやなるひこ が内閣を組織し、連合国軍の進駐受入れ、旧日本軍の武装解除、降伏文書への調印を円滑に進めました。
東久邇宮稔彦
皇族出身かつ陸軍大将のため、軍の反発を抑えて円滑な戦後処理ができると期待され組閣

東久邇宮稔彦
一方で東久邇宮稔彦は、「国体護持」「一億総懺悔ざんげ 」を唱えて占領政策と対立しました
また、GHQによる政治・思想犯の釈放の指令(俗称:人権指令)に対して、東久邇宮稔彦は、釈放後の共産党員による革命を恐れて実施できず、内閣を総辞職しました
一億総懺悔
戦争責任の所在を曖昧にし、天皇への責任追及を避けるための言葉
人権指令
治安維持法・特別高等警察の廃止、共産党員など政治犯の即時釈放
プレス=コード
占領軍に対する批判の禁止と出版物の検閲を定めた規則

非軍事化政策

幣原喜重郎内閣|1945年10月~1946年5月

協調外交で米・英に知られる幣原喜重郎しではらきじゅうろう が、内閣を組織しました。
幣原喜重郎は、次の5つの改革、所謂いわゆる五大改革をマッカーサーから指示されました。

幣原喜重郎
1945年12月、神道指令
軍国主義の思想的基盤とされた神社・神道に対する国家の支援・監督を禁じた指令
1945年9月~12月、GHQは日本の戦争容疑者を次々と逮捕しました。
東条英機元首相ら戦争指導者が極東国際軍事裁判東京裁判)にかけられ、「平和に対する罪(A級)」で有罪となりました。
「人道に対する罪(B/C級)」に問われた者は国内外各地の別の裁判にかけられた。
一方、GHQは天皇制廃止による混乱を避け、むしろ天皇制を占領に利用しようと、天皇を戦犯容疑者に指定しませんでした。
極東国際軍事裁判
国家の指導者個人を通例のない罪で戦争犯罪人として裁いた例のない裁判
裁判官同士の意見の対立もあり、インドのパル判事らは全員無罪を主張

東京裁判
*被告席に立つ東条
1946年1月1日、昭和天皇の人間宣言
天皇を身体が備わった神「現御神あきつみかみ」とする観念を架空とし、自らの神格を否定

昭和天皇の巡幸
1946年1月、公職追放
GHQが、戦争犯罪者・陸海軍軍人・大政翼賛会の有力者らを公職から排除