民主化政策

表記について
概要
GHQは、日本の財閥・寄生地主制が軍国主義の温床になったとみて、それらの解体・改革を経済分野の民主化政策として重視しました。財閥解体では、大資本家の財産が急減し、企業間競争を活発におこなう条件が整いました。また、農地改革では、大半の農家が自作農に転化し、大地主は経済力と社会的威信を失いました。

経済の民主化

財閥解体

GHQは、日本の財閥が軍国主義形成の要因の1つと考え、株式所有による財閥の傘下企業支配の一掃財閥解体を目指しました。

幣原喜重郎内閣|1945年10月~1946年5月

1945年11月、GHQは三井三菱 住友安田の資産凍結と解体を指令しました。

第1次吉田茂内閣|1946年5月~1947年5月

1946年8月、持株会社整理委員会が発足し、指定された持株会社・財閥家族から株式の譲渡を受けて、これを一般に売却しました。
持株会社
他社の株式を所有し、その会社の事業活動を支配する会社

財閥解体

財閥家族の株式回収
1947年4月、独占禁止法
財閥解体の一環として、持株会社・カルテル・トラストの禁止を定めた法律
カルテル
会社同士が、相互の利益のために販売価格・生産量を調整すること
トラスト
同一業種の会社が、市場支配のために結合すること

カルテル

トラスト

片山哲内閣|1947年5月~1948年3月

1947年12月、過度経済力集中排除法
財閥解体の一環として、巨大企業への独占的な経済力集中の排除を定めた法律

農地改革

GHQは、日本の農民層の窮乏を大陸進出の重要な動機の1つと考え、寄生地主制を除去し、自作農の増加を図る農地改革を目指しました。

幣原喜重郎内閣|1945年10月~1946年5月

内閣は、第一次農地改革として農地調整法を改正したが、寄生地主制の解体の面で不徹底であり、GHQから撤回を命令されました。

第1次吉田茂内閣|1946年5月~1947年5月

改革実施の細目を定めた基本法自作農創設特別措置法が成立し、第二次農地改革が実施されました。
北海道を除く地域では、不在地主の全貸付地や在村地主の貸付地のうち、町歩を超える分は、国が強制的に買い上げ、小作人に安く売りました。
結果、農家の大半が1町歩未満の零細な自作農となりました
農業協同組合農協
改革で生まれた自作農のための組織

自作地と小作地の割合

自小作別の農家割合

耕地面積別の農家割合

労働と教育の改革

労働組合の結成奨励

GHQは、日本の労働の低賃金構造を大陸進出の重要な動機の1つと考え、労働基本権の確立と労働組合の結成支援を目指しました。
労働三権と総称される以下の法律が制定され、労働省が設置されました。

組合員数と組織率

幣原喜重郎内閣|1945年10月~1946年5月

労働組合の全国組織として、右派の日本労働組合総同盟総同盟)、左派の全日本産業別労働組合会議産別会議)が結成

第1次吉田茂内閣|1946年5月~1947年5月


戦後初のメーデー

教育の自由主義化

GHQは、教育の自由主義化を民主化の重要な課題と考えました。

幣原喜重郎内閣|1945年10月~1946年5月

1945年10月、教科書の不適当な記述削除と軍国主義的な教員追放を指示しました。
さらに、「日本歴史」「地理」「修身」の授業停止と教科書の回収をおこないました。

国民学校教科書

墨塗り教科書

第1次吉田茂内閣|1946年5月~1947年5月

アメリカ教育使節団の勧告で、教育三法と総称される以下の法律が制定されました。

芦田均内閣|1948年3月~1948年10月