日本国憲法

表記について
概要
GHQは、「憲法の自由主義化」のために、内閣に憲法の改正を指示しました。しかし、提出された改正試案が、天皇の統治権を認めるものであったため、GHQはこれを拒否し、マッカーサー草案を急ぎ作成しました。この草案が和訳・修正されて政府原案になり、さらに衆議院・貴族院で修正・可決されて「日本国憲法」になりました。

憲法の制定

政党の復活と結成

幣原喜重郎内閣|1945年10月~1946年5月

1945年10月、GHQの指示で出獄した徳田球一を中心に、日本共産党が合法政党として活動を開始しました。
GHQの民主化政策が進む中、次の各政党も復活ないし結成されました。

政治犯の釈放

戦後初の総選挙

幣原喜重郎内閣|1945年10月~1946年5月

1945年12月、衆議院議員選挙法改正
満20歳以上の男女が選挙権を獲得し、女性参政権が実現
1946年4月、戦後初の衆議院議員総選挙
39名の女性議員(代議士)が誕生し日本自由党が第一党

女性の投票

女性初の議員
GHQは、かつての戦争協力者(翼賛選挙の推薦議員など)が公職に就くことを嫌い、1946年1月からの公職追放鳩山一郎を失格としました。
これをうけ、吉田しげるが日本自由党総裁に就任しました。

第1次吉田茂内閣|1946年5月~1947年5月

1946年5月、日本自由党総裁で親英米派の吉田茂が、内閣を組織しました。

憲法の改正

幣原喜重郎内閣|1945年10月~1946年5月

1945年10月、幣原喜重郎しではらきじゅうろう 内閣はGHQに憲法改正を指示されました。
幣原喜重郎内閣は、松本烝治じょうじを委員長とする憲法問題調査委員会を設置しました。
委員会作成の改正試案が天皇の統治権を認めていたため、GHQはこれを拒否し、英文の改正草案(マッカーサー草案)を作成しました。
1946年2月、内閣は草案を和訳・修正したものを政府原案として提示しました
改正草案:国会が衆議院のみの一院制
政府原案:参議院を加えた二院制
GHQは、高野岩三郎ら発表の「憲法草案要綱」を執筆に参考

第1次吉田茂内閣|1946年5月~1947年5月

1946年11月3日、日本国憲法公布(1947年5月3日、施行)
大日本国憲法を改正する形で、衆議院・貴族院で修正可決されて公布
主権在民平和主義基本的人権の尊重の3原則
本格的に「思想の自由」「集会・結社・表現の自由」「信教の自由」を保障
天皇は政治的権力をもたない「国民統合の象徴」とする象徴天皇
第9条第1項で「国際紛争を解決する手段」としての戦争を放棄
この憲法では、衆議院・参議院からなる国会が国権の最高機関
衆議院の修正で、第9条第2項に「前項の目的を達するため」との字句が、芦田均あしだひとしの発案で加えられ、自衛のための軍隊保持を許容

新憲法の三原則

諸法典の改正と制定

1947~48年、次の諸法典の改正・制定が進みました。
1954年、国家地方警察・自治体警察が廃止され、都道府県警察を設置

生活の混乱

人口増加と物価上昇

空襲で焼け出された人々は、防空壕や焼け跡に建てたバラック小屋で生活しました。
将兵の復員や海外居留民の引揚げで、日本の人口が急増しました
食糧不足が深刻化し、米などの配給の不足・遅配・欠配が続きました。
民衆は、生活物資を求めて、農村への買出しや公定価格を無視した市場闇市の利用を余儀なくされました。
物不足に加えて、戦後処理などで貨幣が増発され、激しい物価上昇を招きました。

復員

引揚げの船

買出し列車

闇市