概要
桓武天皇による遷都の狙いは、南都(平城京)の仏教勢力抑制にありました。僧玄昉・道鏡、特に道鏡は国費を寺院造営に大量投入して、仏教界の腐敗を招いた。それゆえ桓武は仏教界改革のために、南都の仏教に代わる新たな仏教の登場を期待しました。やがて期待に応えて2大仏教が登場し、仏教界に新たな風を吹かせました。
2大仏教の対比
2大仏教の2つの特徴
特徴1
加持祈禱をおこない、現世利益を求めます。
加持祈禱は一部の限られた弟子のみに伝えられました。
このような、教えを外部に隠す宗派を密教と総称します。
密教に対して、南都六宗は誰でも教えを経典から学習可能
教えを公開する宗派を顕教と総称
印
特徴2
神聖視されている山を修行の場とします。
日本古来の山岳信仰が影響を受け、平安時代末期には修験道が成立
2大仏教と2人の僧
804年、僧最澄・空海が唐に派遣され、それぞれに異なる仏教を学びました。
彼ら2人の手によって、日本で2大仏教が開かれました。
人物 |
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開いた仏教 |
天台宗(中心経典:法華経)
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真言宗
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密教 |
弟子の円仁・円珍が密教を本格的に導入(台密
)
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空海自身が導入(東密)
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寺 |
比叡山延暦寺が拠点
分裂
延暦寺(山門派)・
園城寺
(寺門派)
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高野山金剛峰寺が拠点
平安京の教王護国寺が布教の場
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論文 |
『顕戒論』
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『三教指帰』
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論文の主張 |
受戒について、南都六宗を批判
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儒教・仏教・道教のなかで仏教が優位
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空海が最澄にあてた手紙3通は『風信帖』に集成
天台宗は、後に延暦寺を拠点とする円仁の山門派、園城寺を拠点とする円珍の寺門派に分裂
円仁
唐に滞在中『入唐求法巡礼行記』という日本最古の旅行記を筆録
弘仁・貞観文化―密教美術
像の4大特徴
①木材の利用
平安時代には、粘土と同等以上に安価な「木材」を造像に利用しました。
造像の技法は、1本の木材から像を彫る一木造が主流でした。
一木造
②密教に関わる仏像
密教に関わる如意輪観音・不動明王などの仏像が多数造られました。
③神像の登場
自然から転じた日本の神は本来目に見えず、像が造られませんでした。
8世紀から進んだ神仏習合の影響で、神像も造られるようになりました。
神像の登場
④大小に波打つ衣
衣文は、大きな波と小さな波が交互にうねる翻波式で表現されました。
翻波式
代表的な像
仏像
元興寺薬師如来像
観心寺如意輪観音像
如意輪観音像
薬師如来像
神像
薬師寺僧形八幡神像
薬師寺神功皇后
僧形八幡神像
絵画の題材
仏教の教えや世界観を視覚的に表現した曼荼羅
が描かれました。
特に密教では2つの曼荼羅を用いた両界曼荼羅で世界観を表現した。
代表的な絵画
教王護国寺両界曼荼羅
園城寺不動明王像(黄不動)
両界曼荼羅
黄不動
山岳寺院
山の地形に応じた自由な伽藍配置がなされた。
室生寺金堂が代表である。
室生寺金堂