漢詩好みと影響

表記について
概要
弘仁・貞観文化には、密教の他に唐風の影響も見られます。二所朝廷の打開後、嵯峨天皇は自らが好む漢詩に情熱を注げました。嵯峨の漢詩好みは、中国から伝わった「国家を治(おさ )めるには漢詩(文章もんじょう)が不可欠」という思想と相まって、人々の漢詩作りを盛んにしたり、大学の学問や字体に唐風化を起こしたりしました。

様々な唐風化

代表的な漢文学

次の2つの影響で、漢文学が盛んに作られました。

漢詩文集

凌雲集りょううんしゅう (日本初の勅撰漢詩集)』・『文華秀麗集』・『経国集
天皇の命令で編纂した漢詩集(勅撰漢詩集)
性霊集しょうりょうしゅう
空海の漢詩文集

評論・説話集

文鏡秘府論ぶんきょうひふろん
空海の漢詩評論
日本霊異記りょういき
景戒けいかいの漢文による説話

貴族と庶民の教育

大学で、儒教の経典を学ぶ明経道と、中国の歴史・文学を学ぶ紀伝道が盛んになりました。
貴族は子弟の教育のために、書庫などを備えた寄宿施設大学別曹を設けました。
特に次の4氏族の大学別曹が有名です。
〔和気氏:弘文院、橘氏:学館院、藤原氏:勧学院 、在原氏:奨学院
空海は綜芸種智院しゅげいしゅちいん をひらき、庶民に 仏教や儒教を教育
大学別曹の語呂合わせ
わけ(和気)の分からぬ構文に(弘文)立場な(橘)くしてがっくり(学館)の藤原(藤原)くんには勧学(勧学)の奨学(奨学)金があり(在原)ました。

唐風の書

唐風の書体である唐様からようが広まりました。
嵯峨天皇・空海橘逸勢たちばなのはやなり の3人は、唐様の達筆家として知られ、三筆と総称されます。
空海の書は、彼が最澄に宛てた手紙「風信帖ふうしんじょう 」で有名
唐様に対して、日本風の書体は和様

唐様(左)・和様(右)
多才な人―空海
空海は才能にあふれ、仏教だけでなく、漢詩や書道にも名を残しています。書道では両手のみならず、口や両足も同時に使えたそうです。この様な書き方では、「弘法にも筆の誤り」も当然と言えます。