鎌倉文化―美術の革新

表記について
概要
平安時代の末、都と地方の交渉が盛んになり、各地の有力者が文化の担い手として成長すると、美術の分野でもそれまでの調和のとれた優美なものに代わり、動的で力強いものが好まれるようになってきました。
新しい美術を生み出した仏師や絵師に活躍の場を与えたのは、鎌倉時代初頭の動乱でした。活躍の場は、第1に平氏の南都焼打ちで灰となった東大寺などの再建、第2に治承・寿永の乱後の京都復興、そして第3に新しい東国の都市鎌倉の建設があげられます。この中で仏像や様々な装飾品の製作が進められました。

鎌倉文化の美術

建築

1181年、平重衡たいらのしげひらが東大寺など奈良の寺院を攻めました(南都焼打ち)。
重源東大寺の再建の責任者に任じられました。
重源は各地で寄付を集め、大仏様という新しい建築様式で、東大寺の再建を進めました。
現存する東大寺南大門は、数少ない大仏様の遺構の1つです。
大仏様
宋から伝わった建築様式で、必要な装飾を省略するため、少ない用材で短期間に建築可能
陳和卿ちんなけい
重源を助け、東大寺の大仏復興に参加した宋の工人

大仏様
(東大寺南大門)

他の建築様式


禅宗
円覚寺舎利殿

和様
(三十三間堂)

折衷様
(観心寺金堂)

彫刻

寺院の復興・各地の寺院建立が進みました。
寺院内部に安置する仏像の需要が増加しました。
「慶」の字を名にもつ一派が仏像製作で活躍しました。
この一派は、平安時代の仏師定朝の子孫
康弁こうべん
運慶うんけいの三男
康勝こうしょう
運慶の四男
快慶かいけい
運慶の父の弟子

南大門金剛力士像
(仏師:運慶快慶ら)

興福寺無着むちゃく世親せしん
(仏師:運慶ら)

興福寺龍灯鬼りゅうとうき天灯鬼てんとうき
(仏師:康弁ら)

六波羅蜜ろくはらみつ 寺空也上人像
(仏師:康勝)

絵画

絵巻物

新たに台頭した武士の生活を伝える絵巻、戦乱を体験した人々の心に訴える絵巻、布教を目的に祖師の活躍を伝える絵巻(絵伝)が登場しました。


男衾おぶすま三郎絵巻
武士の生活を題材とする絵巻
蒙古襲来絵巻
竹崎季長たけざきすえながが描かせた絵巻

*右側の人物が竹崎季長
一遍上人絵伝
一遍の活躍を伝える絵巻

*「福岡の市」『一遍上人絵伝』(場面左:一遍)
北野天神縁起絵巻
菅原道真の生涯に関する絵巻

*中央よりやや左側に天神と化した菅原道真

肖像画

写実的な技法の発展、個性の重視、宋の絵画の影響が重なりました。
似絵にせえと呼ばれる肖像画が発達しました。
描き手として、藤原隆信藤原信実 のぶざね父子が有名です。
藤原隆信の作として、『伝源頼朝像』『伝平重盛像』が有名
禅宗の僧は、一人前になると師や先輩僧の肖像画を拝受
この肖像画は頂相ちんそうと呼ばれ、主に礼拝に使用

伝源頼朝像

伝平重盛像

頂相
*蘭溪道隆

頂相
*明恵上人

その他

刀剣

武士の成長とともに、刀剣の製作が盛んになりました。
名工として、備前の長船長光・京都の藤四郎吉光・鎌倉の岡崎正宗が有名でした。

正宗

正宗の短刀

書道

尊円入道親王が和様に宋の書風を加味し、青蓮院流しょうれんいんりゅうを創始しました。

尊円入道親王

陶器

加藤景正かげまさが中国の製法( うわぐすりの利用)を伝え、尾張で瀬戸焼を始めたと言われています。