概要
北山文化に対して、室町時代中期(15世紀中・後期)の文化は東山文化と呼ばれます。名称は8代将軍足利義政が築いた東山の山荘を中心に、この時期の文化が展開したことに因みます。武家の生活文化は成熟を示し、この時期に伸び始めた民衆の間に受け継がれました。後世に及ぼした影響も大きく、近代和風文化の基礎と言えます。
東山文化
建築と庭園
建築
代表例は8代将軍足利義政が建立した山荘です。
山荘の一部である慈照寺銀閣の下層及び
慈照寺東求堂同仁斎は書院造という建築様式です。
書院造
寝殿造を発展させ、より多い間仕切りと座敷が特徴
慈照寺銀閣
慈照寺東求堂(中の一室が同仁斎)
慈照寺東求堂同仁斎
庭園
水を用いずに、砂・石で山水自然を表現する枯山水が、河原者という造園の技術集団の手で、禅宗寺院の庭に造園されました。
代表例は龍安寺や大徳寺大仙院の庭園です。
枯山水
目に見えない水を感じることが禅の精神に通じる庭園
大徳寺大仙院の庭園
峡谷を発した水がやがて大河となる全景を表現
龍安寺庭園
大徳寺大仙院庭園
伝統文化の基礎
茶の湯(茶道)
村田珠光が茶と禅の精神を結びつけ、簡素な座敷・道具で精神的深さを味わう
佗茶を創始しました。
村田珠光に次いで武野紹鷗
が佗茶をさらに簡素化し、千利休がそれを引き継いで大成させました。
茶の湯
茶をたて客をもてなすことで、佗茶は茶の湯の一種
江戸時代以降、茶の湯は「茶道」とも呼称
茶の湯
生花(花道)
生花の1つの様式として、座敷を飾る立花が確立されました。
名手として、池坊専慶が有名です。
立花
池坊専慶
絵画
水墨画
雪舟が水墨画の作画技術を大成しました。
雪舟の代表作は『秋冬山水図』『四季山水図巻』です。
雪舟
『秋冬山水図』
『四季山水図巻(春)』
『四季山水図巻(夏)』
『四季山水図巻(秋)』
『四季山水図巻(冬)』
大和絵
大和絵では次の2派が活躍しました。
- 土佐派:土佐光信が土佐派の基礎固め
- 狩野派:狩野正信・狩野元信父子が水墨画に大和絵の手法を加味し、新たに狩野派を創始
狩野元信『四季花鳥図』
彫刻と工芸
彫刻
能の隆盛につれて能面の制作が発達しました。
能面
工芸
漆工の分野で蒔絵の技術が発達し、金工の分野で後藤祐乗により技術が発達しました。
後藤祐乗の金工作品
連歌
次の2人がそれぞれに独自の歌風を確立しました。
- 宗祇が『新撰菟玖波
集』を編纂して、芸術的な正風連歌を確立
- 宗鑑が『犬筑波集』を編纂して、娯楽的・庶民的な俳諧連歌を確立
宗祇
弟子たちと詠んだ『水無瀬三吟百韻』も有名
宗祇
宗鑑
学問と思想
学問
一条兼良が9代将軍足利義尚のために教訓書『樵談治要
』を著しました。
有職故実
東常縁は、『古今和歌集』の解釈を特定の者だけに伝授すべきと考えました(古今伝授)。
この考えは、後に宗祇に確立されました。
思想
神本仏迹説(反本地垂迹説)に基づき、
吉田兼倶が
唯一神道を確立しました。
文化の陰の立役者
同朋衆
室町時代、将軍の傍に仕えて雑事・芸能に従事した集団を同朋衆と呼びました。
同朋衆は将軍を楽しませるために様々な技術を磨き、文化の発展に重要な役割を果たしました。
同朋衆は「○阿」「○阿弥」と名乗り、例えば祖阿や観阿弥・世阿弥が該当します。
河原者出身の善阿弥は、足利義政に仕える同朋衆になり、大徳寺大仙院庭園を手がけました。