古墳時代の生活

表記について
概要
弥生時代から徐々に生じた身分差は、古墳時代にいっそう拡大しました。民衆と集落に住んでいた首長は、やがて集落から離れた場所に相当な規模の居館を構え、民衆と対峙していきました。また、この時代に「神」「ケガレ」という考えが生まれたと思われます。「神」は後に扱う「仏」と区別するため、この機に確実におさえましょう。

古墳時代の生活

クニと集落の変化

弥生時代(3世紀)

古墳時代

古墳時代になると、集落内に次の2つの変化が生じました。

土器

弥生土器と同じ技術による土師器はじきと、朝鮮半島の技術による須恵器すえき を併用しました。
須恵器
ろくろ・かまを使用するため、左右対称で頑丈

土師器

須恵器

5世紀の竪穴住居と土器の使用

男女の服装

衣服が上下に分かれ、男性は衣とはかま、女性は衣とスカート風の を着用しました。

埴輪に見られる男女の服装

呪術

鹿などの骨を焼き、割れ方で吉凶を占う太占ふとまに の法や、潔白を誓った後に熱湯に手を入れ、火傷の有無で真偽を判断する盟神探湯くかたち がありました。

鹿の骨

盟神探湯

農耕に関する祭祀

弥生時代同様、古墳時代でも農耕に関する祭祀が大切でした。
なかでも、春の初めに豊作を祈る祈年祭としごいのまつり と、秋に収穫を祝い感謝する新嘗祭にいなめのまつり が重要でした。
これらの祭祀は、「神」と呼ばれる存在に向けておこなわれました。

神という存在

人々はアニミズムという考えをもち、あらゆるものに霊威(魂)が存在すると信じていました。

アニミズム
なかでも、次の2つは信仰の対象となりました。
信仰の対象となった霊威が「神」です。
信仰の対象となった、氏族の重要な祖先(死者)が氏神
目に見えない霊威が「神」になるので、当然「神」の姿はなし

円錐形の山(富士山)

大神おおみわ神社の神体「三輪山みわやま 」(奈良)

宗像むなかた大社の神体「沖ノ島」(福岡)
祭祀は基本的に、怒った神(例:稲を枯らす日照り)に祈りを捧げ、普段の神(例:耕作に適した日差し)に戻す儀式です。
神は本来怒り、人々を苦しめる存在です。

風習

死や血に関わる、また単に日常を過ごすことで、目には見えない「ケガレ(汚れ)」を帯びると考えられました。
ケガレを川などの水で落とすみそぎ 、御幣を振って落とすはらいがおこなわれました。

禊に使用された五十鈴川(伊勢神宮)

御幣