室町時代②

表記について

室町幕府の動揺

4代将軍の政治

1394年、4代将軍足利義持の就任
1411年、日明貿易の中止
1416年、上杉禅秀の乱
前関東管領の反乱
1419年、応永の外寇朝鮮の対馬襲撃
*対馬を倭寇の本拠地を誤解

6代将軍の政治

1425~28年、義持が政治を再度担当(理由:5代将軍の早死に)
1428年、義持の死去
次の将軍の就任の気運
1428年、正長の徳政一揆
近江国の馬借が「代始めの徳政」を要求して蜂起した一揆
鎮圧されたが、私徳政(実力による債務破棄)を実現
1429年、6代将軍足利義教の就任
将軍専制、鎌倉公方・有力守護と対立
1432年、日明貿易の再開
1438~39年、永享の乱
幕府に反抗する鎌倉公方足利持氏の討伐
1441年、嘉吉の変
播磨などの守護赤松満祐が義教を謀殺
将軍の権威の失墜
次の将軍の就任の気運
1441年、嘉吉の徳政一揆
「代始めの徳政」を要求して起こった一揆
初めて幕府が徳政令を出して沈静化

8代将軍の政治

1449年、8代将軍足利義政の就任
1454年~、享徳の乱
鎌倉公方の足利成氏と関東管領の対立
成氏が古河に敗走(古河公方)、堀越公方と対立

応仁の乱(1467~1477)

背景:将軍継嗣問題、管領家の家督相続争いに端を発した内乱
結果:京都の荒廃、室町幕府(将軍)の権威の失墜、守護の没落、守護代・国人の台頭(戦国大名)=下剋上の風潮

下剋上の風潮

1485~93年、山城の国一揆
国人が一揆を結び、応仁の乱後も国内で畠山氏の軍の国外退去を実現
以後、8年間自治
1488~1580年、加賀の一向一揆
加賀国の一向宗門徒が、守護富樫政親を殺害
以後、約100年間一向宗門徒が自治(織田信長に制圧される)

戦国大名

戦国大名の分国支配

分国法の制定

各戦国大名が分国支配の基準を示す=喧嘩両成敗、他国との婚姻の禁止
甲州法度之次第』(武田氏)
今川仮名目録』(今川氏)
塵芥集』(伊達氏)
早雲寺殿廿一箇条』(後北条氏)

指出検地の実施

領主に支配地・耕作地の面積・収入を申告
検地で把握した収入(年貢量)を銭に換算して申告
貫高制に基づき課役の賦課

軍事力

国人・地侍の家臣化=寄親・寄子制で家臣団を組織
*疑似親子関係による統制=有力家臣が親、下級家臣が子

分国経営

城下町の建設、交通制度の整備、関所の廃止、楽市楽座、撰銭令の発布、鉱山の開発(金・銀)

主な戦国大名