江戸時代②

表記について

武断政治から文治政治へ

武断政治の問題

初代徳川家康~3代徳川家光の武断政治(強権の発動で政策を断行する政治)
大名の改易による浪人の増加

由井正雪の乱(1651)

兵学者 由井正雪ゆいしょうせつ牢人ろうにんらと幕府転覆を計画
意義:武断政治から文治政治(儒教的徳治主義に基づく政治)に転換

4代将軍徳川家綱の時代(在職1651~80)

文治政治への転換期
法律の整備、学問の振興、徳の重視
保科正之の補佐

文治政治への転換

かぶき者の取締りを強化
末期養子の禁の緩和(1651)
50歳未満の大名に承認
改易の減少
牢人増加の防止
殉死の禁止
主人の死後、家臣は跡継ぎに仕えることを義務化
家の存続と主従関係の固定
下剋上のない安定した社会

諸藩の文治政治

藩主 指導者 内容
会津 保科正之 山崎闇斎 「家訓」15ヵ条制定、漆・蠟の専売実施
水戸 徳川光圀 朱舜水しゅしゅんすい 江戸に彰考館設立、『大日本史』編纂開始
加賀 前田綱紀 木下順庵 古文献の収集・整理、農政改革、学問振興
岡山 池田光政 熊沢蕃山

郷学の閑谷学校を設立

5代将軍徳川綱吉の時代(在職1680~1709)

補佐役
前半:大老堀田正俊まさとし
後半:側用人柳沢吉保よしやす

諸政策―文治政治

武家諸法度の改訂
天和令(1683)
第1条の改訂「文武忠孝を励まし、礼儀を正すべき事」
文教政策
儒教の重視
湯島聖堂の建設、聖堂学問所の整備(⇒昌平坂学問所)、林信篤林鳳岡)を大学頭に任命
歌学方に北村季吟
*著書『源氏物語湖月抄』
天文方に渋川春海安井算哲
貞享暦の作成
宗教政策
生類憐みの令(1685~1709)
特に犬を愛護
社会混乱
服忌令(1684)
忌引日数などを設定
死や血を忌み嫌う風潮
財政政策
明暦の大火(1657)以後の江戸再興で財政難
貨幣改鋳
勘定吟味役かんじょうぎんみやく荻原重秀おぎわらしげひで の提案で金含有率を落とす
元禄小判
出目(改鋳差(さ)益金(えききん))による一時的な財政回復
貨幣価値の下落
物価の騰貴

江戸時代の貨幣改鋳
赤穂事件
赤穂藩主浅野長矩、吉良義央を斬って切腹(1701)
浪士の討入り
*竹田出雲らの浄瑠璃脚本『仮名手本忠臣蔵』の題材

正徳の治

6代将軍徳川家宣・7代将軍徳川家継の時代

正徳の治
朱子学者新井白石による文治政治
時期:6代徳川家宣・7代徳川家継の治世下

政治

生類憐みの令撤廃(1709)
閑院宮家の創設(1710)
貨幣改鋳
慶長小判と金含有率を同率にする
正徳小判
短期間での再度の通貨変更で社会は混乱

江戸時代の貨幣改鋳

外交政策

通信使の待遇簡素化(1711)
経費の節減を意図
朝鮮国書の将軍の呼称を「日本国大君」から「日本国王」へ
海舶互市新例(1715)
長崎貿易での金銀流出の防止策
*清船:年間30隻・銀高6000貫、オランダ船:年間2隻・銀高3000貫