江戸時代③

表記について

享保の改革

8代将軍徳川吉宗の政治(1716~1745)

改革担当:8代将軍徳川吉宗紀伊藩主⇒将軍)

財政再建

上げ米(1722)
大名は石高1万石につき100石の米を上納
見返りに参勤交代の緩和(江戸在府を半年)
検見法 ⇒定免
過去数年の収穫高をもとに税率設定
豊凶には関係なく毎年一定の徴税が可能

政治刷新

人材登用
儒学者の登用
荻生徂徠おぎゅうそらい室鳩巣むろきゅうそう
足高の制(1723)
在職中だけ役職に必要な役高の不足分を支給
この制度で大岡忠相(旗本)の採用
都市政策
目安箱の設置(1721)
小石川養生所の建設
実学奨励
漢訳洋書の輸入制限の緩和(1720)

田沼時代

田沼意次の政治(1772~1786)

政治担当:老中田沼意次
*10代将軍徳川家治の時代
政治腐敗、天災(天明の飢饉、浅間山大噴火)の責任転嫁
意次罷免

同時代の反社会的事件

宝暦事件(1758)・明和事件(1767)

商業・貿易政策

株仲間の積極的公認
運上・冥加の増徴と商業統制
専売制の拡張(銅座・鉄座・真鍮しんちゅう座・朝鮮人参座)
南鐐二朱銀の鋳造(1772)
計数貨幣での銀貨の鋳造、金を中心とする貨幣制度への一本化
長崎貿易の拡大
銅・俵物を輸出して、金・銀を輸入

開発計画

新田開発
印旛沼・手賀沼の干拓計画
失敗
蝦夷地開発、ロシア人との交易計画
工藤平助が『赤蝦夷風説考』で述べた意見を採用
調査のため、最上徳内らを蝦夷地に派遣
*千島列島を探査

寛政の改革

老中松平定信の政治(1787~1793)

改革担当:老中松平定信(白河藩主)
*11代将軍徳川家斉の時代
厳しい統制で幕府内部・民衆が反発
尊号一件などがもとで定信辞任
*尊号一件
光格天皇の実父への太上天皇の尊号宣下要求を定信が拒否した事件

町村の貧民救済

七分積金
町入用の節約分の約7割を積み立てさせる
貧民救済に利用
囲米(1789)
大名に石高1万石につき50石の貯蓄を命令
備荒貯蓄のために社倉義倉を設置

財政政策・都市政策

物価引下げ令
物価・米価の調整が目的
棄捐令(1789)
旗本・御家人が札差に負った6年以前の債務帳消し
人足寄場の設置
浮浪人・無宿人に職業訓練して治安対策

言論の統制

山東京伝の洒落本『仕懸文庫
恋川春町の黄表紙『金々先生栄花夢
林子平の海防論『三国通覧図説』『海国兵談』
*幕府批判と捉えられる

大御所時代

11代将軍徳川家斉の政治(1793~1841)

徳川家斉が将軍または前将軍(大御所)として実権掌握
関東取締出役の設置(1805)
関東の治安維持の強化
大塩の乱(1837)
背景:天保の飢饉で米不足の中、幕府が米の買占め
事件:大塩平八郎(元与力)が貧民救済のために蜂起

天保の改革

老中水野忠邦の政治(1787~1793)

改革担当:老中水野忠邦
*12代将軍徳川家慶の時代
大名・旗本が改革に反発
忠邦失脚

政策

株仲間の解散(1841)
意図的に物価を上げていると誤認
流通の悪化で、かえって物価の騰貴
上知令(1843)
収入増加・沿岸防備を目的に江戸周辺を直轄地化
大名・旗本の反対で廃止=忠邦失脚の直接的原因

言論の統制

柳亭種彦の合巻『偐紫田舎源氏
為永春水の人情本『春色梅児誉美