明治時代③

表記について

外交政策

条約の改正交渉

1858年、旧幕府が締結した安政の五カ国条約
不平等条約
交渉内容
領事裁判権の撤廃、関税自主権の回復、最恵国待遇の相互承認

改正交渉の経過

担当者 内容および経過・結果 同時代の出来事
岩倉具視
(1872)
使節団が交渉を断念、欧米視察をおこなって帰国 廃藩置県(1871)
寺島宗則
(1876~78)
アメリカとの交渉に成功
英独の反対で失敗
西南戦争(1877)
井上馨
(1882~87)
内地雑居・外国人判事の任用を前提に交渉
極端な欧化政策(象徴:鹿鳴館
ノルマントン号事件(1886)
政府内・民衆からの反対で交渉中止
三大事件建白運動(1887)
大隈重信
(1888~89)
大審院での外国人判事の任用を前提に交渉
反対運動で大隈がテロに遭って負傷
大日本帝国憲法(1889)
青木周蔵
(1891)
ロシアを警戒し、好意的になったイギリスと交渉
大津事件(1891)
来日中のロシア皇太子が負傷
青木が引責辞任して交渉中止
陸奥宗光
(1894)
日英通商航海条約(1894)
関税自主権以外の平等化
日清戦争(1894~95)
小村寿太郎
(1911)
関税自主権の完全回復(1911)

近隣諸国との外交

日中関係

日清修好条規(1871)
領事裁判権を相互に承認
日本初の対等条約
琉球帰属問題
江戸時代:
琉球王国は日本(薩摩藩)と清国に両属
新政府は日本領としたい
琉球漂流民殺害事件(1871)
日本の抗議に対して、清国が責任回避
台湾出兵
イギリスの調停
琉球を日本領と捉えた日本の行動の正当化
琉球藩の設置(1872)
琉球処分(1879)
琉球藩を廃止し、沖縄県を設置

19世紀の東アジア

日朝関係

征韓論をめぐる対立
朝鮮
鎖国政策をとり、日本の国交樹立の交渉に応じず
征韓派:西郷隆盛・板垣退助ら
武力による開国
内治派:大久保利通・木戸孝允ら
国内政治優先
明治六年の政変(1873)
征韓派が内治派に敗れ下野
日朝修好条規(1876)
江華島事件(1875)
日本の軍艦が朝鮮側を挑発、戦闘に
朝鮮に条約締結を要求して締結
清国の宗主権否定、日本の領事裁判権の承認
朝鮮にとって不平等条約

江華島

日本の領土の画定

ロシアとの国境画定

樺太・千島交換条約(1875)
国境の変更
日本は千島列島全島、ロシアは樺太

樺太・千島交換条約

小笠原諸島の帰属

日本政府、小笠原諸島の日本帰属を決定

日本の領土(丸枠含む)

日清戦争と日露戦争

日清戦争(1894~1895) 日露戦争(1904~1905)
背景 対ロシアの国防上、朝鮮半島が重要
利益線
朝鮮の宗主権を主張する清国と対立
壬午軍乱(1882)
朝鮮が清国に接近
甲申事変(1884)
金玉均らのクーデター失敗
日清間で天津条約締結
甲午農民戦争(1894)
朝鮮での農民の反乱
日清両国が軍隊を派兵
戦争勃発
日本の国防・大陸進出とロシアの南下政策が衝突
ロシア
旅順・大連の租借権獲得
義和団事件(1899~1901)を理由に満州占領
準備 日英通商航海条約締結(1894) 日英同盟協約締結(1902)
世論 福沢諭吉「脱亜論」 主戦論:
「万朝報」(黒岩涙香)
非戦論:
幸徳秋水・堺利彦の平民社「平民新聞」、 内村鑑三、与謝野晶子
結果 下関条約(1895)
全権:
日本
伊藤博文首相、陸奥宗光外相
清国
李鴻章
内容
清国が朝鮮の独立を承認
遼東半島・台湾などを割譲
賠償金2億両の支払い
ポーツマス条約(1905)
全権:
日本
小村寿太郎
ロシア
ウィッテ
内容
韓国に対する日本の指導・監督権の承認
旅順・大連の租借権の譲渡
長春以南の鉄道と付属利権の譲渡
北緯50度以南の樺太譲渡
後日 台湾
台湾銀行の設立、製糖業の発展
三国干渉(1895)
露・仏・独が遼東半島の清国への返還を要求
受諾した日本で、ロシアへの敵意増大
「臥薪嘗胆」
中国分割
ロシアが旅順・大連の租借
義和団事件
ロシアが満州占領
日本の危機増大
日比谷焼打ち事件(1905)
賠償金を獲得できなかった講和条約に反対
日露協約(1~4次、1907~1916)
満州など極東における権益の相互承認
韓国の保護国化
第2次日韓協約(1905)
外交権の接収、統監府の設置
第3次日韓協約(1907)
内政権の掌握
韓国併合(1910)
朝鮮総督府の設置(総督=陸軍)