担当者 | 内容および経過・結果 | 同時代の出来事 |
岩倉具視 (1872) |
使節団が交渉を断念、欧米視察をおこなって帰国 | 廃藩置県(1871) |
寺島宗則 (1876~78) |
アメリカとの交渉に成功 英独の反対で失敗
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西南戦争(1877) |
井上馨 (1882~87) |
内地雑居・外国人判事の任用を前提に交渉 極端な欧化政策(象徴:鹿鳴館) ノルマントン号事件(1886) 政府内・民衆からの反対で交渉中止
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三大事件建白運動(1887) |
大隈重信 (1888~89) |
大審院での外国人判事の任用を前提に交渉 反対運動で大隈がテロに遭って負傷
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大日本帝国憲法(1889) |
青木周蔵 (1891) |
ロシアを警戒し、好意的になったイギリスと交渉
大津事件(1891)
来日中のロシア皇太子が負傷
青木が引責辞任して交渉中止
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陸奥宗光 (1894) |
日英通商航海条約(1894) 関税自主権以外の平等化
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日清戦争(1894~95) |
小村寿太郎 (1911) |
関税自主権の完全回復(1911) |
日清戦争(1894~1895) | 日露戦争(1904~1905) | |
背景 | 対ロシアの国防上、朝鮮半島が重要
利益線
朝鮮の宗主権を主張する清国と対立
壬午軍乱(1882)
朝鮮が清国に接近
甲申事変(1884)
金玉均らのクーデター失敗
日清間で天津条約締結
甲午農民戦争(1894)
朝鮮での農民の反乱
日清両国が軍隊を派兵
戦争勃発
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日本の国防・大陸進出とロシアの南下政策が衝突
ロシア
旅順・大連の租借権獲得
義和団事件(1899~1901)を理由に満州占領
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準備 | 日英通商航海条約締結(1894) | 日英同盟協約締結(1902) |
世論 | 福沢諭吉「脱亜論」 | 主戦論: 「万朝報」(黒岩涙香) 非戦論:幸徳秋水・堺利彦の平民社「平民新聞」、 内村鑑三、与謝野晶子
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結果 | 下関条約(1895) 全権: 日本
伊藤博文首相、陸奥宗光外相
清国
内容李鴻章
清国が朝鮮の独立を承認
遼東半島・台湾などを割譲
賠償金2億両の支払い
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ポーツマス条約(1905) 全権: 日本
小村寿太郎
ロシア
ウィッテ
内容
韓国に対する日本の指導・監督権の承認
旅順・大連の租借権の譲渡
長春以南の鉄道と付属利権の譲渡
北緯50度以南の樺太譲渡
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後日 | 台湾 台湾銀行の設立、製糖業の発展
三国干渉(1895)
露・仏・独が遼東半島の清国への返還を要求
受諾した日本で、ロシアへの敵意増大
「臥薪嘗胆」
中国分割ロシアが旅順・大連の租借 義和団事件ロシアが満州占領
日本の危機増大
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日比谷焼打ち事件(1905) 賠償金を獲得できなかった講和条約に反対
日露協約(1~4次、1907~1916)満州など極東における権益の相互承認
韓国の保護国化
第2次日韓協約(1905)
外交権の接収、統監府の設置
第3次日韓協約(1907)
韓国併合(1910)内政権の掌握
朝鮮総督府の設置(総督=陸軍)
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