古墳時代

表記について

古墳時代

各時期の古墳

時期 前期
(3c後半~4c後半)
中期
(4c~5c)
後期
(6c~7c)
地域 畿内中心に分布 全国に分布 全国に分布(次第に収束)
特徴 前方後円墳、円墳、方墳など 前方後円墳の巨大化 群集墳の登場、
装飾古墳の出現
石室 竪穴式石室 竪穴式石室、
横穴式石室
横穴式石室
埴輪 円筒埴輪が中心 形象埴輪が中心 形象埴輪が中心
副葬品 銅鏡・玉・腕飾り 鉄製武器・馬具 須恵器・土師器など
被葬者 司祭的性格 武人的性格 豪族・有力農民
代表例 箸墓古墳 大仙陵古墳 高松塚古墳

古墳時代の生活

道具

土師器はじき(弥生土器の系譜、赤褐色)
須恵器すえき (5世紀に朝鮮半島から製法伝来、灰色・硬質)

信仰

農耕儀礼=祈年祭(春、豊作祈願)・新嘗祭(秋、収穫感謝)
*天皇即位後初は大嘗祭だいじょうさい
呪術的風習=太占の法(焼いた骨の割れ目で占う)・盟神探湯くかたち (熱湯に手を入れ、火傷の有無で真偽を確認)・禊と祓(ケガレを取り除くこと)

大陸文化の伝来

渡来人の来日=技術者集団の組織化
陶作部(陶器)・韓鍛冶部(鍛冶)・錦織部機織はたおり
代表的な渡来人=王仁わに(『論語』の伝来、西文氏 かわちのふみうじ の祖)・阿知使主あちおみ東漢氏の祖)・弓月君ゆづきのきみ(養蚕や機織りの伝来、秦氏の祖)
5世紀~
漢字の使用=埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣銘・熊本県江田船山古墳出土鉄刀銘
6世紀
儒教の伝来=百済の五経博士が伝える
仏教の公伝=欽明天皇の時、百済の聖王(聖明王)が仏像・経典を伝える(538年 or 552年)
⇒崇仏論争(崇仏派:蘇我稲目 vs 排仏派:物部尾輿)
歴史書の編纂=『帝紀』『旧辞』の編纂
*のちの『古事記』『日本書紀』のもと

古墳時代前期(3c後半~)

ヤマト政権の成立

大和(奈良)に古墳が出現・普及=畿内を中心とした政治連合の存在=ヤマト政権
大王(おおきみ)=ヤマト政権の支配者の称号

古墳時代中期(4c後半~5c)

朝鮮半島との関係(4c後半)

加耶(加羅)諸国=半島南部の鉄資源確保のため、密接な関係
高句麗=半島南部の支配拡大をめぐって衝突⇒好太王碑の碑文に記録あり

日本列島への影響

高句麗の騎馬軍団との交戦⇒乗馬の風習の伝来=副葬品として馬具の登場

中国との関係(5c)

宋書倭国伝
倭の五王(讃・珍・済・興・武)の遣使
倭王武の上表文(「安東大将軍」の称号獲得)

ヤマト政権の支配拡大(5c~)

支配地域

遠方での出土物に「ワカタケル大王(=雄略天皇、倭王武)」の文字
=埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣銘・熊本県江田船山古墳出土鉄刀銘
=支配の拡大、漢字の使用

政治体制

中央豪族=大臣大連に就任して政権を左右
地方豪族=国造くにのみやつこに就任して人民支配
私地私民制=屯倉(大王家の私有地)・名代・子代(大王家の私有民)・田荘(豪族の私有地)・部曲(豪族の私有民)

古墳時代後期(6c~)

ヤマト政権の動揺

地方豪族の反抗

527年、磐井の乱
筑紫国造磐井が新羅と結び、ヤマト政権の加耶諸国救援軍の派遣を阻止

朝鮮半島の動向

高句麗の圧迫⇒新羅・百済の勢力南下⇒加耶諸国の滅亡(562年)

政権内部の抗争

大伴金村の失脚…朝鮮半島南部との外交失敗を責められたため
蘇我氏の政権掌握=587年、蘇我馬子物部守屋を滅ぼす