大正時代②

表記について

大正時代の動向

社会運動の展開

時代 労働争議・小作争議 社会主義運動 身分差別解消・女性軽視打破
明治
労働争議
1897
労働組合期成会
片山潜・高野房太郎が結成
労働組合の結成呼びかけ
1901
社会民主党
日本初の社会主義政党
直後禁止
1906
日本社会党
当初公認、翌年禁止
1910
大逆事件
社会主義者の弾圧事件
「冬の時代」
女性軽視打破
1911
青鞜社
平塚らいてう(ちょう)らが結成
大正 1912
友愛会
鈴木文治らが結成
労資協調を主張
1914~18
第一次世界大戦
産業発展・物価上昇・労働者数増加
1917
ロシア革命
社会主義運動の再開
1914
黎明会
吉野作造が結成し、民本主義の啓蒙
1914
東京新人会
吉野に影響されて結成、社会主義の思想的な啓蒙
1918
米騒動
シベリア出兵を見越した米の買い占めによる米価高騰を原因とした民衆暴動
労働争議
友愛会
1919 大日本労働総同盟友愛会
1921 日本労働総同盟
1920
第1回メーデー開催
小作争議
1922
日本農民組合
賀川豊彦らが結成
日本初の小作人組合
1920
森戸事件
東大の森戸辰男の休職処分
1920
日本社会主義同盟
社会主義運動の再開を目指す団体
翌年禁止
1921
赤瀾会
女性による社会主義団体
1922
日本共産党
非合法
堺利彦・山川均らが結成
女性軽視打破
1920
新婦人協会
市川房枝・平塚らいてうが結成
1922 治安警察法第5条の改正
女性の政治集会参加を許可
身分差別解消
1922
全国水平社
1923
関東大震災(甘粕事件…憲兵大尉が無政府主義者大杉栄と内縁の妻の伊藤野枝を殺害)
1923
虎の門事件
無政府主義者難波大助による皇太子裕仁親王の暗殺未遂事件
女性軽視打破
1924
婦人参政権獲得期成同盟会
女性の参政権を要求
1925
普通選挙法公布
満25歳以上の男性で直接国税制限なし
1925
治安維持法公布
国体の変革(天皇制の否定)、私有財産制の否定(資本主義体制の否定)する組織の結社や思想自体の取締り

大正デモクラシー

大正デモクラシーの展開

特徴
第一次護憲運動~普通選挙成立の頃の民主主義的風潮
理論的背景
吉野作造の民本主義
政治の目的は民衆の福利
美濃部達吉の天皇機関説
天皇は国家の最高機関
展開
言論・出版・集会などの市民的自由要求や大衆の政治参加への要求
普通選挙運動、政党政治の実現

本格的政党内閣の成立

寺内正毅内閣(1916.10~1918.9)

米騒動(1918)
背景
シベリア出兵を見越した米の投機的買占め
異常な米価高騰
発端
富山県の漁村主婦の米安売り要求運動
全国に拡大
結果
軍隊により鎮圧
内閣批判
寺内内閣引責辞職、小作争議・労働争議が頻発

原敬内閣(1918.9~1921.11)

最初の本格的政党内閣
陸相・海相・外相以外は立憲政友会員で組閣
衆議院議員選挙法改正(1919)
対象を直接国税3円以上に拡大、小選挙区制の導入
結末
原敬暗殺(1921)

護憲三派内閣の成立

清浦奎吾内閣(1924.1~1924.6)

貴族院中心の超然内閣
第2次護憲運動運動
護憲三派(立憲政友会・革新倶楽部・憲政会)の倒閣運動
結果
護憲三派が総選挙で圧勝
清浦内閣の総辞職

加藤高明内閣(護憲三派内閣、1924.6~1926.1)

以後政党内閣が犬養毅内閣まで続く
憲政の常道」(~1932)
*慣例として、衆議院で多数の議席を占める政党が内閣を組織
治安維持法(1925)
共産主義弾圧、運動と思想を弾圧
*背景
ソ連(社会主義政権)との国交樹立、普通選挙法施行
普通選挙法(1925、衆議院議員選挙法改正)
直接国税制限なし

選挙法改正の変遷

公布 内閣 登用者 直接国税 有権者数 全人口比
1889 黒田清隆 男満25歳以上 15円以上

45万人

1.1%

1900 山県有朋 10円以上

98万人

2.2%

1919 原敬 3円以上

306万人

5.5%

1925 加藤高明 制限なし

1240万人

20.8%

1945 幣原喜重郎 男女20歳以上

3688万人

50.4%