戦後史①

表記について

戦後の内閣

*与党…政権側の政党
内閣 *与党 事項
1945.8~ 1945.8
進駐受け入
.9
降伏文書調印
.10
GHQの人権指令

人権指令の実施は不可能として総辞職

戦後処理
東久邇宮稔彦
1945.10~ 1945.10
マッカーサー元帥、五大改革指令
.12
神道指令
政府による神社神道への援助・監督を禁止
新選挙法公布
選挙資格は満20歳以上の男女
1946.1
昭和天皇の「人間宣言
.2
金融緊急措置令
インフレ一時緩和、しかし止まらず
公職追放
戦争に関与した者を公職から排除

戦後初の総選挙で日本自由党が第1党となり総辞職

占領下の民主化
幣原喜重郎
1947.5~ 日本自由党・日本進歩党 1946.11
日本国憲法公布
大日本帝国憲法の改正
.12
傾斜生産方式採用
復興は石炭・鉄鋼の生産が優先
1947.1
GHQの命令で、二・一ゼネスト中止
.3
教育基本法公布
教育の機会均等・男女共学を規定
学校教育法公布
六・三・三・四制を発足

総選挙で日本社会党が第1党、新憲法下、初の首相指名

吉田茂
1947.5~ 日本社会党・民主党・国民協同党 1947.12
改正民法(新民法)公布
戸主権・長子相続制の廃止

社会党左派・右派の対立で社会主義政策が行えず総辞職

中道連立の内閣
片山哲
1948.10~ 1948.7
政令201号公布

昭和電工事件で閣僚逮捕、総辞職

芦田均
1948.10~ 民主自由党→自由党 1948
GHQ、経済安定九原則の実行指令
1949
ドッジ・ライン実施、シャウプ勧告
1950
朝鮮戦争戦争、警察予備隊発足
1951
サンフランシスコ平和条約調印
日本の主権回復
日米安全保障条約調印
日米間の防衛に関する条約
1952
日米行政協定調印
破壊活動防止法公布
保安隊発足
IMF加盟
1954
MSA協定調印
自衛力増強の義務
防衛庁・自衛隊発足

造船疑獄事件で反吉田派が自由党を離党。総辞職

占領政策の転換→独立の回復
吉田茂②~⑤
1954.12~ 日本民主党 1955
自由民主党結成(保守合同、55年体制)
GATT加盟
1956
日ソ共同宣言調印、国際連合加盟
経済企画庁の『経済白書』に「もはや戦後ではない」

日ソ国交回復を機に引退、総辞職

国際社会への復帰
鳩山一郎①~③
自由民主党
1956.12~

首相、発病し総辞職

石橋湛山
1957.2~ 1960.1
日米安全保障条約の改定に調印
.5
日本社会党が主導する60年安保闘争

新安保条約発行後に混乱の責任をとり総辞職

岸信介
1960.7~ 所得倍増」「寛容と忍耐」「政経分離」
1961
農業基本法公布
1963
GATT11条国
1964
IMF8条国に移行
OECD加盟
東京オリンピック開催

東京オリンピック閉幕の翌日、首相、病気を理由に総辞職

高度経済成長
池田勇人①~③
1964.11~ 1965
日韓基本条約調印
1967
公害対策基本法公布、非核三原則表明
1970
日本万国博覧会開催
1971
沖縄返還協定調印
1972
返還実現

長期政権に対し、退陣の世論。自由党総裁の任期切れを機に総辞職

佐藤栄作①~③
1972.7~ 1972
日中共同声明調印
日中国交正常化
1973
第1次石油危機(原因:第四次中東戦争)
狂乱物価

首相の金脈問題が明らかになり、総辞職

田中角栄①・②
1974.12~ 1975
第1回先進国首脳会議
1976
ロッキード事件
田中角栄前首相の逮捕

総選挙で自由民主党が過半数割れで総辞職

安定成長・自民党内の派閥抗争
三木武夫
1976.12~ 1978
日中平和友好条約調印

首相が総裁選に敗れ総辞職

福田赳夫
1978.12~ 1979
第2次石油危機(原因:イラン革命

内閣不信任可決、選挙遊説中に首相が倒れ総辞職

大平正芳
1980.7~

増税なき財政再建の公約に批判、総裁選に出ず、総辞職

鈴木善幸
1982.11~ 1985~86
JT・NTT・JR発足

売上税法案が廃案となり、総裁の後継を指名し、総辞職

中曽根康弘①~③
1987.11~ 1988.7
リクルート事件
.12
消費税法公布
1989.1
昭和天皇没、平成と改元

リクルート事件で総辞職

平成時代へ
竹下登