表記について

8c初め

律令体制の完成

701年、大宝律令刑部親王藤原不比等らが編纂
*律…刑法、令…民法や行政法など
*718年、養老律令=藤原不比等らが編纂(757年、藤原仲麻呂が施行)

元明朝の政治

平城京の造営

710年、平城京=藤原京から遷都、モデルは唐の長安
条坊制…碁盤の目状に東西南北に走る道路で区画
朱雀大路…都の中央を南北に走る大路(東=左京、西=右京)
主な施設=平城宮(内裏だいりなど)、貴族・官人・庶民の住居、東市・西市、寺院

流通の促進

京内の東市・西市=市司いちのつかさ が監督、官吏の現物給与や地方の産物を交換
貨幣鋳造
和同開珎鋳造(708年=和銅元年)
本朝十二銭…和同開珎~乾元大宝(958年発行)
711年、蓄銭叙位令=銭貨流通を促すため⇒京・畿内以外では流通進まず

奈良時代

政局の変遷

天皇 政権担当者 出来事
藤原氏 その他
元明 藤原不比等 710年、平城京遷都
718年、養老律令編纂
元正
長屋王 723年、三世一身法
729年、長屋王の変
聖武
藤原四子 729年、光明子が聖武天皇の皇后となる
737年、藤原四子死去(原因:天然痘)
橘諸兄 740年、藤原広嗣の乱=吉備真備・玄昉の排除
*聖武、恭仁京・紫香楽宮・難波宮に相次ぎ遷都
*745年、平城京へ戻る
741年、国分寺建立の詔=鎮護国家思想の表れ
743年、大仏造立の詔=鎮護国家思想の表れ
743年、墾田永年私財法
孝謙 藤原仲麻呂 757年、養老律令施行
757年、橘奈良麻呂の変
758年、仲麻呂が「恵美押勝」の名を賜る
淳仁
道鏡 764年、藤原仲麻呂の乱恵美押勝の乱
765年、道鏡が太政大臣禅師に就任
766年、道鏡が法王に就任
769年、宇佐八幡神託事件⇒道鏡、下野薬師寺に左遷
称徳
(孝謙の重祚)
光仁 藤原百川 770年、光仁天皇(天智天皇の孫)即位
皇統が天武系から天智系に変わる
藤原四子
藤原武智麻呂(南家の祖)・藤原房前(北家の祖)・藤原宇合(式家の祖)・藤原麻呂(京家の祖)の4兄弟

律令体制

官制

任期 任命 役所 仕事
国司 6年のち4年 中央貴族を派遣 国府 任国の行政・財政・司法・軍事全般
郡司 終身・世襲制 国造の子孫 郡家 郡の行政、税の取り立て、軽い刑罰の執行
諸国の構成=国(国司)>郡(郡司)>里(里長)
*()内は統治者
京と国府は官道で連絡
*官道には約16㎞ごとに駅家を設置

租税

戸籍=6年ごとに作成、班田収授を実施
計帳=毎年作成、調・庸の対象者の台帳
班田収授=6歳以上の男女に口分田を与える
税逃れ=浮浪逃亡、偽籍

田1段につき稲2束2把
諸国の財源
調 地方特産物(布・海産物など)
中央の財源
歳役(10日)に代え、布2丈2尺
中央の財源
出挙 春に稲を貸付け、秋に収穫から利息つきで回収

外交

遣唐使=630年開始(犬上御田鍬の派遣)、894年中止(菅原道真の再建)
航路=北路、のちに南路に変更
*8世紀以降、新羅との関係悪化が原因
留学生・学問僧=吉備真備玄昉(橘諸兄政権で登用)、阿倍仲麻呂(唐の皇帝玄宗に仕官、帰国できず)

渤海

靺鞨族・旧高句麗人を中心に建国
渤海使=727年開始
*唐・新羅との対抗関係から国交を希求