平安時代①

表記について

8c末

桓武朝の政治

造営(平安京の造営)

目的
平城京の仏教勢力と距離を置く(天智系の皇統の強調や水利の向上も)
平城京
784年、長岡京
藤原種継の暗殺
794年、平安京

軍事(蝦夷の征討)

*780年、伊治呰麻呂これはりのあざまろの乱
東北で蝦夷えみしの反乱が相次ぐ
797年、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命
胆沢城(ここに鎮守府を移動)と志波城を築く
*811年、嵯峨朝で文室綿麻呂が蝦夷平定に成功

その他

健児の採用
軍団・兵士の廃止(東北・九州を除く)、郡司の子弟らによる国衙守備兵の採用
勘解由使の設置
解由状(国司交替時の引継文書)の監察官
徳政論争
藤原緒継・菅野真道の論争
軍事・造営の中止決定

嵯峨朝の政治

810年、薬子の変
平城太上天皇と嵯峨天皇の権勢争い
嵯峨天皇の勝利

その他

蔵人頭の設置
天皇の側近、機密事項の取扱い
藤原冬嗣を任命
検非違使の設置
京内の治安・警備・裁判
弾正台・衛府の形骸化
弘仁格式』編纂
三代格式の1つ目
*格
律令の修正・補足
*式
施行細則
*養老令の注釈書
官選の『令義解』、私撰の『令集解』
公営田の設置
大宰府管内に置かれた国家の直営田

9~11c半ば

藤原北家の台頭

天皇 藤原氏 出来事
嵯峨 冬嗣 810年、薬子の変
藤原仲成敗死、藤原薬子自殺
冬嗣、蔵人頭に任命
藤原式家の没落、藤原北家台頭の契機
良房 842年、承和の変
橘逸勢・伴健岑ら排斥
良房、清和天皇の事実上の摂政に就任
866年、応天門の変
伴善男ら排斥
貞観格式
三代格式の2つ目
清和
光孝 基経 事実上の関白に就任
宇多 888年、阿衡の紛議
基経、関白の政治的地位を確立
時平 894年、遣唐使中止(菅原道真の建議)
醍醐 901年、菅原道真を大宰府に左遷
延喜の治
延喜格式
三代格式の3つ目
延喜の荘園整理令
私的な大土地所有を制限
『日本三代実録』
六国史の最後
『古今和歌集』
勅撰和歌集の最後
朱雀 忠平 935~941年、承平・天慶の乱
村上
天暦の治
乾元大宝の鋳造
本朝十二銭の最後
冷泉 実頼 969年、安和の変
藤原氏の他氏排斥完了
988年、「尾張国郡司百姓等解」
一条ほか 道長
頼通 1019年、刀伊の入寇
1028年、平忠常の乱
1051年、前九年合戦

地方政治の変質

土地管理

8~9c

浮浪・逃亡、偽籍の増加
国家の財政難
直営田の設置(畿内に官田、大宰府に公営田)

10c初め

延喜の荘園整理令
不徹底に終わる
課税対象を人から土地に転換
有力農民に田畑耕作と租税納入を負担させる
*耕作地=名田)、負担する有力農民=田堵

国司(10c~)

国司の徴税請負人化、課税率の自由裁量
国司の権限強化
国司の2タイプ
受領(任国に赴任)⇒徴税強化
遙任(任国に赴任せず)⇒現地の留守所に目代派遣