平安時代②

表記について

武士の成長

武士団の成長

武士のおこり(9世紀末頃)
軍事貴族の土着、豪族・有力農民の武装
武士団の形成
惣領(一族の長)・家子いえのこ(一族)・郎党(従者)
武家の棟梁が複数の武士団を統制
*清和源氏(祖:源経基)
*桓武平氏(祖:高望王)

承平・天慶の乱

関東・瀬戸内で武士の反乱が発生
939~940年、平将門の乱
平将門が関東を支配し、新皇と自称
平貞盛・藤原秀郷が鎮圧
939~941年、藤原純友の乱
藤原純友が瀬戸内と九州の一部を支配
源経基が鎮圧
意義
地方武士の実力を中央政府に認識させる契機

武士の利用

滝口の武者
9世紀末から設置した宮中の警備職

清和源氏の台頭

清和源氏が11世紀に東国へ進出
1028~1031年、平忠常の乱
平忠常が房総半島で反乱
源頼信が鎮圧
1051~1062年、前九年合戦
陸奥の安倍氏の反乱
源頼義・義家、清原氏が鎮圧
1083~1087年、後三年合戦
清原氏の同族争い
源義家が鎮圧

奥州藤原氏の繁栄

藤原(清原)清衡・基衡・秀衡の3代にわたる約100年の繁栄、平泉が中心

11c半ば~12c後半

後三条朝の政治

後三条天皇の即位
藤原氏を外祖父としないため、天皇の親政の実現
*外祖父…母方の祖父

後三条の親政

人事
大江匡房の登用
公定枡の決定
宣旨枡の採用
荘園の取締り
1069年、延久の荘園整理令
記録荘園券契所記録所)の設置

院政の開始

白河天皇の譲位(上皇)
堀河天皇の即位
上皇が天皇の政務を代行する院政を開始

院政の構造

命令文書
上皇の院宣や院庁の院庁下文が国政に影響
支持基盤
院近臣(受領層)
院の軍事力
北面の武士の設置
経済基盤
知行国の制度、寄進地系荘園
仏教信奉
上皇の出家(法皇)、六勝寺の建立例:法勝寺(白河)
僧兵による強訴(興福寺の奈良法師、延暦寺の山法師)

平氏の台頭

平正盛が白河上皇に、平忠盛が鳥羽上皇に接近

保元の乱(1156)

鳥羽上皇の死去がきっかけ
後白河天皇方VS.崇徳上皇方
天皇方の勝利
貴族間の紛争を武力で解決
武士の政界進出の促進

平治の乱(1159)

院近臣間、源氏と平氏の対立
平氏方の藤原通憲(信西)は自害
源氏方の藤原信頼・源義朝は滅亡
平清盛の勝利
平氏政権の成立

平氏政権

1167年、平清盛が太政大臣に就任
娘徳子の入内
1180年、安徳天皇の即位
1177年、鹿ヶ谷の陰謀
事前発覚、1179年、後白河法皇を幽閉

平氏政権の概要

経済基盤
知行国30余カ国、荘園500余カ所、日宋貿易
大輪田泊の修築
貴族的性格
外戚関係の利用、知行国・荘園の経済的基盤
武士的性格
西国武士の組織化