概要
第二次世界大戦後、アメリカを中心とする資本主義陣営(西側陣営)と、ソ連を中心とする社会主義陣営(東川陣営)の間で世界規模の対立が生じました。アメリカはマーシャル=プランを発表し、社会主義の影響がヨーロッパに及ぶことを防ごうとしました。また、西側陣営は北大西洋条約機構を結成し、軍事的にも結束しました。対するソ連は、東ヨーロッパ諸国と軍事的・経済的結合を強化しました。
2度の大戦後の秩序形成
国際連合の発足
1941年8月、
大西洋憲章
アメリカ
の大統領フランクリン=ローズヴェルト
とイギリスの首相チャーチル
が大西洋上会談でまとめた憲章
国際連合を創設する構想を表明
1945年4~6月(日本の降伏
前
)、
サンフランシスコ会議
第二次世界大戦中に米・英・ソ・中の4国でまとめた国際連合憲章
を採択した会議
1945年10月、国際連合憲章に基づいて国際連合
が発足しました。
国際連合
英名はUnited Nations、つまり第二次世界大戦の「連合国」を母体とし、日本などの敗戦国は後に加盟
国際連合の構成
会議
国連総会
全加盟国で構成される会議
1948年、人種・性・宗教などによる差別を禁止する世界人権宣言
を採択
安全保障理事会
経済制裁・
武力制裁の権限をもち
、紛争などの安全保障の問題を扱う会議
アメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国(中華民国、後に中華人民共和国)
の5ヵ国の常任理事国のみが拒否権を所有
専門機関
ユネスコ
(国際連合教育科学文化機関、
UNESCO
)
教育・科学・文化を通じて世界平和を促進する機関
国際労働機関
(
ILO
)
各国の労働問題解決のために勧告や調停をおこなう機関
世界保健機関
(
WHO
)
国際的な保健衛生の事業の指導・調整をおこなう機関
国際通貨基金
(
IMF)
国際的な為替の安定を
目指して設立された、国際連合
の専門機関
国際金融の新体制と米国の経済的覇権
1944年、アメリカのブレトン=ウッズで国際会議が開かれ、国際金融の新体制の構想が決まりました。
大戦後、会議の協定に基づいて次の諸機関・制度が成立しました。
- 1945年12月、国際通貨基金
(IMF)
国際的な為替の安定を
目指して設立された、国際連合
の専門機関
- 1945年12月、国際復興開発銀行
(世界銀行
、IBRD)
第二次
世界大戦後の復興と後進国開発を目指して設立された、国際連合の専門機関
- 1947年10月、関税と貿易に関する一般協定
(GATT)
関税やその他の貿易障壁を取り除き、自由
貿易を促進する目的で結ばれた協定
1995年、この協定を発展させて世界貿易機関(WTO)が発足
新体制では、金1オンス(約31.1グラム)=35ドルと定められ、ドルと各国通貨の交換比率が固定されました。
この体制はブレトン=ウッズ体制
と呼ばれ、ドル
を国際通貨制度の中心である基軸通貨としました。
ブレトン=ウッズ体制
アメリカが保有する世界の7割の金を基盤とする金本位制
敗戦国の戦後処理
ドイツ
連合国の占領
1945年、ポツダム協定
ポツダム会談で決定された協定
①アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の
4国によってドイツと旧首都ベルリンの分割占領
②民主化の徹底
戦争犯罪の追及
ニュルンベルク
に国際軍事裁判所が設置され、ドイツの指導者を対象に、戦争犯罪を裁く世界史上はじめての裁判が開かれました。
オーストリア
1938年にドイツに併合されたオーストリアは、米・英・仏・ソの4国によって分割占領されました
。
1955年、4国と国家条約が結ばれ、中立国として独立を回復しました。
イタリア
日本
アメリカ軍の占領
日本は、降伏の決定打を与えたアメリカ軍による事実上の単独占領となりました。
軍隊の解散・女性解放・農地改革・教育改革などの民主的改革が実施されました。
1946年、主権在民(国民主権)をうたった
日本国憲法が公布
戦争犯罪の追及
極東国際軍事裁判
が東京で開かれ、日本の指導者の戦争犯罪が裁かれました。
米ソ冷戦の始まり
大戦直後の西欧
イギリス
1945年7月、保守党のチャーチルにかわり、選挙で勝利した労働
党のアトリー
が首相に就任しました。
労働党の
アトリー政権の下、重要産業の国有化と社会福祉制度の充実
が進められました。
1949年、アイルランドがイギリス連邦から完全独立し、国号をエールからアイルランド共和国に変更しました。
エール
1937年、アイルランドの独立派が、イギリス連邦からの独立を宣言し定めたアイルランドの国名
フランス
1946年、フランスで第四共和政が発足しました。
イタリア
1946年、王政が廃止されて共和政となりました。
アメリカ・西欧-共産党・ソ連への警戒
フランス・イタリアでは、共産党が第二次世界大戦中に抵抗運動で活躍したことで支持を得ました。
また、東欧諸国やバルカン諸国では、第二次世界大戦中にソ連による解放がおこなわれ、親ソ政権が樹立しました。
共産党への支持、親ソ政権の樹立は、アメリカなどの資本主義国から警戒されました。
例えば、次の人物たちが共産党やソ連への警戒を表明しました。
- 1946年、イギリス前首相チャーチル
親ソ政権がバルト海からアドリア海まで列をなす状況を、ソ連が西側の資本主義国に対して「鉄のカーテン」を下ろしていると表現して批判
- 1947年、アメリカ大統領トルーマン
ギリシアとトルコへの援助をおこない
、共産主義の拡大を封じ込める政策トルーマン=ドクトリン
を宣言
- 1947年、アメリカ国務長官マーシャル
ヨーロッパの共産主義化を防止するために、ヨーロッパの経済復興援助計画マーシャル=プラン
を発表
ソ連や東欧諸国は援助受入れを拒否し
、対抗としてコミンフォルム
を組織したので、東西ヨーロッパの分裂が表面化
ソ連・東欧-結束による抵抗
1947年、ソ連・東欧諸国の共産党は、マーシャル=プランに対抗して、情報交換機関であるコミンフォルム
(共産党情報局)を結成しました。