概要
ヨーロッパは第二次世界大戦で主戦場になり、大きな被害を受けました。各国が戦後復興を進めるなか、東ヨーロッパ諸国は大戦中にソ連によってドイツの占領から解放されたこともあり、社会主義を採用していきました。西ヨーロッパ諸国およびアメリカは、この状況に危機感を抱き、対立を深めていきました。資本主義陣営と社会主義陣営の対立は、特にドイツや朝鮮の分断という形で表面化しました。
東西ヨーロッパの分断
東ヨーロッパの共産主義化
第二次世界大戦後の東欧諸国では、ソ連の援助を受けた共産党が改革を進めました。
東欧諸国の多くは、ソ連型の人民民主主義に基づく社会主義を採用し、計画経済による工業化を進めました。
人民民主主義
大資本家・大地主を排除し、労働者・農民・市民・中小の資本家や地主などでおこなう民主主義
例外的な東欧諸国
チェコスロヴァキア
第二次次世界大戦後、チェコスロバキアは東欧諸国の一員でありながら社会主義を採らず、西欧のような議会制民主主義を維持しました。
1947年、アメリカがマーシャル=プランを打ち出すと、その計画の受入れを決めました。
1948年、危機感を覚えた共産党がチェコスロヴァキアでクーデタを起こし、実権を握りました。
ユーゴスラヴィア
第二次世界大戦中、ユーゴスラヴィアではティトー
がドイツ占領軍に対してパルチザンと呼ばれる抵抗運動をおこない、自力での解放に成功しました。
大戦後、ユーゴスラヴィアはコミンフォルムの一員になりました。
しかし、ユーゴスラヴィアはソ連によって解放された他の東欧諸国と異なり、次第にソ連と対立する独自路線をとりました。
1948年、ユーゴスラヴィアはコミンフォルムから除名されました
。
1955年、ソ連と東欧諸国が加盟するワルシャワ条約機構が設立されましたが、ユーゴスラヴィアは加盟しませんでした
。
東西陣営の表明
次の関係が成立し、東西対立が厳しくなりました。
西側陣営
1948年、
ブリュッセル条約
(
西ヨーロッパ連合条約)
イギリス・フランス・ベネルクス3国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)が、チェコスロヴァキアでの政変(共産党によるクーデタ)に対抗して
結んだ条約
のちの北大西洋条約機構(NATO)の雛形
1949年、
北大西洋条約機構
(
NATO)
アメリカ・カナダ・西欧諸国による反ソの軍事同盟
1952年、ギリシア・トルコ
が加盟、1955年、西ドイツ
が加盟
西側陣営
東側陣営
1949年、
経済相互援助会議
(
COMECON、コメコン)
ソ連と東欧諸国
が結成・参加した経済協力機構
1955年、
ワルシャワ条約機構
(東ヨーロッパ相互援助条約)
北大西洋条約機構設立に対抗して
、ソ連・東欧諸国(東ドイツ
など)が設立した軍事同盟
東欧諸国のユーゴスラヴィアはワルシャワ条約機構に非加盟
東側陣営
ドイツの分断
ベルリン封鎖
第二次世界大戦後、ドイツとベルリンはアメリカ・イギリス・フランス・ソ連の
4国によって分割占領されました。
東西対立の激化により、米・英・仏の占領地区(西ベルリン)とソ連の占領地区(東ベルリン)の分断が進みました。
分割占領されたドイツとベルリン
*ベルリンはソ連の占領地区内に存在
1948年、ソ連
は米・英・仏の通貨改革に反発し、西ベルリンに至る鉄道・道路を遮断するベルリン封鎖
を実行しました。
ソ連の占領地区内にあった西ベルリンは、物資が断たれて孤立しました。
ベルリン封鎖に際し、米・英・仏は、西ベルリン市民のために生活必需品を空輸しました
。
1949年、封鎖は解かれましたが、東西ベルリンの分断がより進みました。
通貨改革
経済再建のため、西ベルリンで新通貨発行と自由価格制を実施したこと
ソ連は「ドイツを単一の経済単位」として扱うとしたポツダム協定違反と批判
空輸を見上げるベルリン市民
東西ドイツの成立
西ドイツ
1949年、米・英・仏の占領地区に
ボンを首都とするドイツ連邦共和国
(西ドイツ)が成立しました。
1954年、西
ドイツは、経済復興を実現した首相アデナウアー
の下で、主権を回復しました。
1955年、西ドイツは北大西洋条約機構
(NATO)に加盟しました。
東ドイツ
1949年、ソ連の占領地区に
東ベルリンを首都とするドイツ民主共和国
(東ドイツ)が成立しました。
1955年、東ドイツは、設立されたワルシャワ条約機構
に加盟しました。
中国と朝鮮の分断
中国の分断
中華民国
日中戦争後、中華民国内では中国国民党と中国共産党の内戦が再開しました。
中華民国の政府は、中国国民党幹部の腐敗や経済の混乱で、民衆から批判されました。
一方、中国共産党は民衆の支持を獲得し、中国国民党に軍事的に勝利しました。
1949年、中国国民党の蔣介石は内戦に敗れて台湾
に逃れ、中華民国を維持しました。
中華人民共和国
1949年、中国国民党を圧倒した中国共産党は、北京を首都とする中華人民共和国
の成立を宣言しました。
中華人民共和国の主席には毛沢東
が、首相には周恩来
が就任しました。
1950年、
中ソ友好同盟相互援助条約
中華人民共和国とソ連が、アメリカと日本を敵国と見なして結んだ軍事同盟
1953年、中華人民共和国は第1次五ヵ年計画
を始め、ソ連型の経済建設を模範として工業化と農業の集団化を進めました。
正式な「中国」
社会主義国やインド・イギリスなどは、中華人民共和国を「中国」として承認しました。
しかし、アメリカは台湾の中華民国の政府を「中国」とする立場をとりました。
朝鮮の分断
1943年、カイロ会談で朝鮮の独立が約束されました。
しかし、第二次世界大戦後は北緯38
度線を境界に、ソ連
軍が朝鮮半島の北半分を、アメリカ
軍が南半分を
占領しました。
当初、米ソで南北の統一方法が協議されましたが、米ソ対立の激化で協議が決裂しました。
朝鮮民主主義人民共和国
1948年、北緯38度線の北に、金日成
を首相とする朝鮮民主主義人民共和国
(北朝鮮)が成立しました。
大韓民国(韓国)
1948年、北緯38度線の南に、李承晩
を大統領とする大韓民国
(韓国)が成立しました。
アジアにおける東西陣営の対立