東南・南・西アジアの独立

表記について
概要
第二次世界大戦後、東南アジア・南アジアで独立を宣言する国が次々と現れたました。この背景には、宗主国であった欧米諸国が支配力を失ったこと以外に、大戦中に日本軍が進駐したこともありました。太平洋戦争開戦後の日本は、欧米諸国の植民地支配からアジアを解放し、アジアの人々が共存共栄していく「大東亜共栄圏」の建設が戦争の目的であると主張しました。しかし、戦況悪化とともに日本が現地の資源を強引に調達することが増え、抗日運動が広がりました。終戦後は、この運動が宗主国との対立に向き、独立を勝ち取りました。

東南アジアの独立

アメリカ領フィリピン

第二次世界大戦中、日本に占領されたフィリピンでは、抗日運動が起こりました。
大戦後は抗日運動を基礎に独立に向かい、1946年、フィリピン共和国が成立しました。

インドネシア(オランダ領東インド)

1945年の日本の敗戦を機に、独立運動の指導者スカルノ がインドネシア共和国の独立を宣言しました。
独立宣言後、オランダは武力で独立を阻もうとしました。
1949年、インドネシアの独立が実現し、スカルノ インドネシアの 初代大統領に就任しました。

ベトナム(フランス領インドシナ)

インドシナ戦争

第二次世界大戦中、日本に占領されたフランス領インドシナでは、ホー=チ=ミン ベトナム独立同盟 ベトミン)を組織し、抗日運動をおこないました。
大戦後、ベトナム独立同盟はフランス への抵抗運動をおこない、指導者のホー=チ=ミン ベトナム民主共和国 の独立を宣言しました。
ベトナム民主共和国の初代大統領には、ホー=チ=ミン が就任しました。
しかし、フランスはベトナム民主共和国を認めませんでした。
1946~54年、インドシナ戦争
フランス とベトナム民主共和国の戦争
1949年、フランスは阮朝最後の王バオ=ダイを擁立して南部のサイゴンにベトナム国を樹立して対抗
1954年、フランスがディエンビエンフー の戦いで敗北
1954年、ジュネーヴ休戦協定
フランスとベトナム民主共和国が結んだインドシナ戦争の休戦協定
フランスがインドシナから撤退し、北緯17 度線を停戦ラインとしてベトナムが南北に分けられ、2年後に南北統一選挙を予定

アメリカの介入

1954年締結のジュネーヴ休戦協定は、東南アジアにおける共産主義の拡大に繋がる可能性がありました。
危惧したアメリカはジュネーヴ休戦協定を認めませんでした。
1954年、東南アジア条約機構 SEATO
共産主義の拡大を阻止するため、アメリカ・イギリス・フランス・東南アジア諸国などが結成した軍事同盟
アメリカはゴ=ディン=ジエムを支援して、フランス撤退後のベトナムに介入しました。
1955年、南部にベトナム共和国が成立し、ゴ=ディン=ジエム が初代大統領に就任しました。
インドシナの南北は、ベトナム共和国とベトナム民主共和国によって分断されました。

カンボジア・ラオス・ビルマ・マレー

カンボジア(フランス領インドシナ)

1953年、シハヌークを国王とするカンボジア が独立を果たしました。

ラオス(フランス領インドシナ)

1953年、ラオスは独立を果たしましたが、左派・右派の対立から内戦が始まりました。

英領ビルマ

1948年、ビルマはイギリス連邦から離れて独立しました。

英領マレー半島

1957年、マレーはマラヤ連邦として独立しました。

南アジア・西アジアの独立

インド

独立前

インドでは分割統治によって、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒が次第に対立しました。
イスラーム教徒側の全インド=ムスリム連盟のジンナー は、パキスタンのインドからの分離・独立を主張しました。
一方、ガンディーはパキスタンを含めたインド(統一インド)での独立を主張しました。
ジンナー
後にパキスタンの総督に就任

独立後

1947年、インド独立法
ヒンドゥー教徒主体のインドと、イスラーム教徒主体のパキスタンの分離・独立を決めた法
独立後もヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の対立は続き、1948年、ガンディーはヒンドゥー教の 過激派に暗殺されました。
1950年、インドの初代首相にはネルー が就任しました。
インディラ=ガンディー
ネルーの娘

スリランカ

1948年、スリランカ(セイロン)はイギリス連邦内の自治領として独立しました。
1972年、スリランカは憲法制定によって共和国となりました。

イラン

第二次世界大戦後、イランではイギリス資本が支配する石油の国有化を求める声が強まりました。
1951年、政権を握ったモサデグ は、外国資本の石油の国有化を決定しました
しかし、国王パフレヴィー2世は、イギリスとの関係悪化を恐れ、クーデタによってモサデグを追放しました。

アラブ諸国

1945年、エジプトなどアラブ7ヵ国はアラブ連盟 アラブ諸国連盟)を結成しました。

パレスチナ

第二次世界大戦後、イギリスによるパレスチナの委任統治が終了しました。
国際連合は、パレスチナについてアラブ人地域とユダヤ人地域の分割案を提案しました。
1948年、ユダヤ人はこの提案を受け、イスラエル を建国しました。
しかし、アラブ人側は分割案を受け入れず、イスラエル建国を承認しませんでした
1948~49年、第1次中東戦争 (パレスチナ戦争)
イスラエル建国を認めないアラブ連盟とイスラエルの戦争
国際連合の調停で休戦したが、イスラエルがパレスチナの約8割を獲得
第一次中東戦争の結果、多くのアラブ人がパレスチナから追われ、パレスチナ難民が発生しました
パレスチナ問題は、その後も西アジアでの紛争の原因となりました。