大戦の拡大と枢軸国の敗北

表記について
概要
バルカン半島方面へ進出したドイツは、ソ連と対立し始めました。やがてドイツとソ連が衝突し、独ソ不可侵条約は破棄されました。当初ドイツが優勢でしたが、スターリングラードの戦いで最終的にソ連が勝利しました。イタリアが敗れてドイツは孤立し、連合軍とソ連に追い詰められて1945年5月に無条件降伏しました。イタリア・ドイツと同盟を結んでいた日本も、1945年8月に降伏し、第二次世界大戦が終わりました。

大戦の拡大

独ソ戦の開戦の長期化

1941~45年、独ソ戦
ドイツが独ソ不可侵条約を破棄してソ連に攻撃したことにより開始された戦争
イギリス・アメリカがソ連を支援し、ソ連がコミンテルンを解体したため、第二次世界大戦の対立軸がファシズム対反ファシズムに変化

ドイツの占領と反発

第二次世界大戦中 、ドイツは人種差別主義を強め、ユダヤ人をポーランド のアウシュヴィッツ強制収容所などに送り、殺害しました。
ドイツ占領下の地域では強い抵抗運動が起こりました。
例えばユーゴスラヴィア ティトー は、ドイツ占領軍に対してパルチザンと呼ばれる抵抗運動をおこないました。

南方資源の確保

日本は、日中戦争を継続するために、南方での資源獲得を目指しました。
1940年、フランスがドイツに降伏すると、日本はフランス領インドシナ に進駐しました。
日本は、進駐に対するアメリカの経済制裁を阻止するため、次の同盟・条約を結びました。
上記の同盟・条約を結んだ後、日本はフランス領インドシナの南部にも進駐しました。
日本が結んだ同盟・条約は、かえってアメリカの態度を硬化させました。
アメリカは中立を守りつつも、次の行動を取りました。
ABCD
A=America、B=Britain、C=China、D=Dutch

太平洋戦争の展開

1941年、日米の衝突回避の交渉は、行き詰まりました。
1941年12月8日、真珠湾攻撃
日本がハワイの真珠湾(パールハーバー)にある米軍基地を奇襲
同日、英領マレー半島に上陸
日本がアメリカ・イギリスに宣戦し、ドイツ・イタリアもアメリカに宣戦しました。
1941年12月8日~45年、太平洋戦争
日中戦争の発展および第二次世界大戦の一環として、太平洋一帯で戦われた日本と連合国(アメリカ・イギリス・中国)との戦争
開戦後、日本は東南アジア各地を占領しました。
日本は「大東亜共栄圏」を唱え、日本を盟主とした東・東南アジアの経済ブロックを築こうとしました。
当初、日本の進軍は東南アジア諸国で植民地支配からの解放として歓迎されましたが、抵抗運動に転じることも多くありました。
日本軍はマレー半島・シンガポール ・インドネシア・フィリピンなどを占領

枢軸国の敗北

枢軸国対連合国

日本・アメリカの参戦後、第二次世界大戦は次の2つの陣営の戦争となりました。
枢軸国(ファシズム陣営):
ドイツ・イタリア・日本など
連合国(反ファシズム陣営):
アメリカ・イギリス・ソ連など(フランスは降伏)

戦局の転機と降伏

1942年以降、連合国は優勢になりました。

イタリアの降伏

連合国の軍(連合国軍)がイタリアのシチリア島 に上陸したことを機に、1943年7月、ムッソリーニが失脚しました。
1943年9月、連合国軍がイタリア本土に上陸し、ムッソリーニ失脚後の新政府バドリオ政権 は無条件降伏しました。

ドイツの降伏

1943年、スターリングラードの戦い
ソ連の工業都市でおこなわれたドイツとソ連の激戦で、独ソ戦の転機
ドイツ軍がソ連軍に敗北
1945年、連合国軍の攻撃でドイツは総崩れになりました。
1945年5月7日、ドイツは無条件降伏しました。
4月末、ヒトラー自殺

日本の降伏

1942年、ミッドウェー海戦
日本艦隊がアメリカ艦隊に敗北した 海戦
日本は太平洋地域における戦局の主導権を喪失
日本は、1945年8月6日広島に、9日長崎に原子爆弾(原爆)を投下されました。
同時期の8月8日、ソ連 は日ソ中立条約を一方的に破棄し、満州・朝鮮・樺太に侵攻しました。
1945年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾して降伏しました。

大戦中の連合国

1941年8月、大西洋憲章
アメリカ の大統領フランクリン=ローズヴェルト とイギリスの首相チャーチル が大西洋上会談でまとめた憲章
国際連合を創設する構想を表明
1943年11月、カイロ宣言
アメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルト・イギリス首相チャーチル・中国国民政府主席蔣介石が参集したカイロ会談でまとめた宣言
対日処理方針を 規定
1943年11~12月、テヘラン会談
アメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルト・イギリス首相チャーチル・ソ連首相スターリンによって、イランのテヘランで開催された会談
連合国軍による北フランス上陸作戦を内容とする第二戦線問題を協議
会談後の1944年、連合国軍がノルマンディー への上陸作戦に成功し、ドイツ攻撃の勢いが加速
アイゼンハワー(アイゼンハウアー)
連合国軍を指揮してノルマンディーへの上陸作戦を指揮した軍人で、後に第34代アメリカ大統領に就任
1945年2月、ヤルタ会談
アメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルト・イギリス首相チャーチル ・ソ連首相スターリンによって、クリミア半島のヤルタで開催された戦後処理の会議
ドイツ降伏後にソ連が対日戦争に参加することを秘密裏に約束
1945年7~8月、ポツダム会談
英首相チャーチル(途中からアトリー)・米大統領トルーマン ・ソ連首相スターリンがドイツのポツダムに参集し、戦後のドイツ処理や対日の降伏条件を定めた会談
アメリカ・イギリス・中国の名前で、日本 に対して無条件降伏や降伏後の処遇を要求するポツダム宣言を発表